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第24回 "言いわけすんな!"を社訓に仕事も遊びもいつも全力投球!!シーアイエー株式会社代表取締役・横山光衛さん<前編>

『旅するチカラ』始まって以来の2ヶ月連続掲載!その前編をお届けします!!

いつもサングラスに葉巻というスタイルの横山光衛さん。一見"恐い人か"と思ってしまうが実はれっきとした福島県の印刷デザイン会社の社長である。その会社の名前も「CIA(シーアイエー)」というから、なかなか洒落もきいている。しかも社員には「仕事も遊びも徹底してやれ!」と言うだけあって、ご本人の"遊びっぷり"も相当なもの。これまで手を出した趣味は「釣り」「麻雀」「バイク」「射撃」などなど。とくに「釣り」に関しては日本でもフライフィッシングの草分け的な存在で、まだフライフィッシングなどというものが日本で知られる前から毛針などを自作して近所の川でキャスティングしていたそうだ。1970年代後半以降、日本人が足を踏み入れることがほとんどなかったアラスカに何度も出かけキングサーモン釣りに興じていたというから恐れ入る。
今回はそんな横山さんに会社設立のいきさつ、アラスカでのエピソード、海外での活動、そして福島原発事故についてなどなど様々なお話をうかがった。

<プロフィール>
1950年 福島県伊達市梁川町に生まれる。二松学舎大学を卒業後、プロの麻雀師に。
1985年 父が経営していた「よこやま印刷所」に「シーアイエー」を企業内企業として発足させる。後に同印刷所を吸収合併。
1994年 シーアイエーコーポレーションを設立。
1997年 有志でNPO法人「ミンガラ奨学金」を立ち上げミャンマーの子供たちを支援。

「楽しむときはとことん楽しむ」をモットーに、これまでにやってきた趣味は「釣り」「麻雀」「バイク」「射撃」「葉巻」「料理」「ボート」、そして「バンド活動」など。

写真を撮られるのが苦手な社長にポーズをとっていただきました。
ありがとうございます。

バンド活動も本格的

出村:横山さんは、現在「シーアイエー」という印刷デザイン会社のオーナーで、お父さんが営まれていた印刷会社を引き継がれた、いわゆる2代目社長とうかがっています。まずは、その辺のお話からお聞きしたいと思います。

横山さん:表向きは2代目としているのですが、少し違っています。かれこれ30年以上も前のことになりますが、私は大学卒業後、東京でブラブラしていました。そんな時に親父の印刷工場が倒産の危機に陥っているという話が飛び込んできたんです。その頃、私は結構お金を持っていたんです。それで「じゃあ、オレがなんとかしてやる」って福島に帰って、父親が経営していた「よこやま印刷」を立て直すことに専念しました。後に企業内企業として「シーアイエー」という会社を発足させ、「よこやま印刷所」を吸収合併したというわけです。

伊達市梁川町の「伊達政宗祭り」
お隣の女性はミス愛姫(めごひめ)。愛姫は伊達政宗の正室
シーアイエーの所在地は伊達市梁川町
伊達政宗が長く本城を置いた伊達氏ゆかりの町なのです。

出村:東京でブラブラしていたとおっしゃいましたが、会社を立て直すほどの大金を何故お持ちだったのですか?

横山さん:はい。あまり大きな声では言えませんが、当時、プロの麻雀士をやっていたんです。それで結構な額を持っていました。そんな時に親父の会社が危ないっていう話が入ってきたんで「じゃあ、会社のために使おう」って福島に帰ったわけです。

出村:えっ?プロの雀師をされていたんですか?

横山さん:そうなんです。結構、強かったですよ(笑い)。作家の阿佐田哲也さん(筆名は色川武大)ともいっしょに打ったこともあります。私にとっては神様でしたね。たとえば3万円で対局したとすると、きっちりと3万円負ける。そんなことができる人はそれまで会ったこともなかった。「こいつはすごいや」って驚かされましたよ。そんなわけで麻雀で強かったからお金がどんどん入ってきた(笑い)。それで「このお金で何をしようかな」って考えてシルクスクリーンの講習会を受けに行ったりして勉強したんです。そうしたら、ひょんなことから、あのアンディ・ウォーホールから原画のシルクスクリーンの仕事を依頼されたんです。まぁ、こっちは職人なんでそれなりのお金しか入ってきませんが、一度、デパートでアンディ・ウォーホールのシルクスクリーンが800万円で売られていたのを見て驚かされましたよ。アンディ・ウォーホールのサイン入りですから価値が上がるわけですよね。そんなこともやっていたからお金はありましたね。当時、私はもう結婚していたんですが、女房に構うことなく麻雀ばっかりやっていました。それで女房から苦情が出ないようにと勝った金額の1割を小遣いとして渡していました。それで1年で200万円ぐらいになっていたようですから、つまり2000万円ぐらい稼いでいたことになるんですね。

とある旅先で奥様と一緒に記念撮影

出村:なんだかすごい話ですね。ところで、どうしてそんなに麻雀が強かったのですか?

横山さん:高校生の頃に親からみっちりと麻雀必勝法を仕込まれていたんですよ。野球を教えてくれる親がいても麻雀を教えてくれる親なんてうちぐらいですよね(笑い)。

出村:えっ?親からですか?

横山さん:はい。それも母親から。うちの母親は幸子って言うんですけど、「はやぶさのサチ」と言う異名で呼ばれるほど麻雀が強かったようです。手堅いしカンもいい。それで「どうせ、おまえのことだからそのうちに外で麻雀ばっかりやるに違いない。どうせやるのなら負けちゃいけない。だからコーチしてやる」って麻雀の打ち方を教えられたんです。それで父親も交えて家族麻雀をしょっちゅうやっていました。厳しさも教えられましたね。ある時、夜中の2時か3時に対戦が終わって私が1万円ほど負けたことがあったんです。高校生ですから1万円なんて持っていない。それで親父に「貸しておいてくれ」と頼んだら、「ふざけんな」って。「ギャンブルの負けを借りておくなんてふざけるな。今から友達を起こしてでも金作ってこい!」って言われてしまいました。それで友人を起こして借りに行ってなんとか払ったんです・・・・。でも後日、親父が負けた時には「貸しにしとけ」って言われちゃって。「オヤジ、そりゃ、ないだろう」って言いましたよ(笑い)

出村:これまたすごい話ですよね。東京での大学生活でも麻雀が中心の生活になったのでしょうか?

横山さん:大学に行く頃には結構強かったですよ。だから「仕送りはいらない」ってもらいませんでした。母親が予想した通り、麻雀ばっかりやるようになりましたからね。おかげで卒業してもプロの雀士として食えるようになりました。(笑い)

出村:いやはや、すごいお話ですね。ところで、横山さんが企業内企業として起ち上げられた「シーアイエー」(CIA)という社名もアメリカの諜報機関の名前と同じでユニークですよね。

横山さん:会社の名前ならアルファベット3文字が覚えやすい。以前からそんな話を人に話していたから自社もアルファベット3文字にしたんです。別にたいした意味はないんですけどね。当社は"重宝"機関ということです。後に子会社を作った時には社名を「エフビーアイ(FBI)」にしました。これは「福島の 便利な 印刷屋さん」っていうことで、一応意味づけはしましたけど(笑い)。

出村:ちょっと気になったんですが、オフィスの壁に揚げられている「言いわけすんな!」という言葉は何なのですか?会社のパンフレットなんかでもこの言葉が使われていますよね。

月刊CIA『言いわけすんな!』最新号(2011年11月20日発行)
ファイブスタークラブのことを1面で取り上げていただきました。感謝。
(※画像をクリックすると拡大画面でご覧いただけます。)

横山さん:あっ、これはうちの社訓です。編集や印刷ではミスはつきものです。それは編集側か印刷側の責任という話になるんですが、うちとしては刷り直すしかないのだから、お客様には一切"言いわけすんな!"と言っています。この社訓は河北新報のコンテストで1位になったんですよ。

出村:なるほど、社名だけじゃなくって社訓もユニークですね。ところで会社の従業員には釣り人や楽器演奏者など、さまざまな趣味人がいらっしゃるそうですが、横山さんも麻雀のほかにもいろいろな趣味をお持ちだと聞きました。

横山さん:今はそんなにやってないですよ(笑い)。前は麻雀のほかに釣り、バイク、射撃、料理、ボートなんかですかね。

出村:多趣味という言葉を超えていますね。その中でもっとも長いものは何ですか?

横山さん:釣りです。生まれた時からやってました(笑い)。生まれも育ちも福島の田舎ですからそこら中に川があって魚が釣れたんです。でも東京に行った時はそんなアウトドアはできないんで、麻雀をやっていたわけです。ただ神保町の古本屋街にはよく行っていました。勉強?いや、勉強に関する本を求めて行くんじゃなくて、古本屋に通ってはアメリカの釣り雑誌を見ていましたね。もちろん何が書いてあるのか分からないけど、そこにはアラスカの釣りの写真が何点も載っていました。それを見ていると、やっぱり日本の釣りとはスケールが違うんですね。そんな雑誌の写真を眺めては「よし、いつか必ず行くぞ」ってずっと思っていました。

出村:それで実際にアラスカに行かれたのですね。旅費も麻雀で稼いだのでしょうか?

横山さん:もちろん行きました。だけど最初に行ったのは確か親父の会社で仕事をするようになっていた頃なので、もう麻雀で稼いだお金はありませんでした。コツコツと給料を貯めて行ったんですよ。専従者給与っていう言葉をご存知ですか?私はそれで経営者でもなければ社員でもなかった。給料が3万とか4万で、それを貯めて年に1回行くんです。だから当時は贅沢なんてまったくしていません。お金はアラスカに行くためのお金だから長靴が破れても新しいものが買えなかったほどです。

出村:最初にアラスカに行かれたのは、いつ頃ですか?

横山さん:70年代の後半、1976年頃でした。30年以上も前ですね。

出村:その頃はアラスカに行くには大変だったでしょうね。ハワイに釣りに行く旅はあるけれど、アラスカに釣り行く企画ができる旅行会社なんてなかったと思いますが・・・

横山さん:はい、ありませんでした。ただアラスカは憧れだった。何をおいても行きたかった。だから、行けばなんとかなると思ってとにかくアラスカに向けて出発する準備を始めたわけです。そして、こっちの川で釣りをやるような釣り竿を持ってアラスカに向かいました。釣竿を持ってぶらぶらしていたら誰か釣り場に連れていってくれるだろと期待してアンカレッジ空港をぶらぶらしていました(笑い)。そこまではよかった。期待通り釣り場には行けたのですが、ガイドに「そんな釣竿で何をする気だ?」って笑われてしまいました。当時、少しぐらいの情報は入ってきていてもフライフィッシングとかルアーフィッシングなんかの道具が日本で手に入らない頃でしたから。だから持っていった竿は普通の竿。それでも、なんとか1匹か2匹は釣れたんだけど、やっぱりダメで。それで釣竿の方にも目覚めていったんです。でもアラスカでは本当にショックを受けましたね。日本では見たこともないようなドデカイ魚が釣れるんですよ。それからやみつきになって毎年アラスカに行くようになってしまいました(笑い)

(ここで会社の一員で釣りが趣味。横山さんとも何度も釣りに出向いている山本英司さんにもお話しに加わっていただきました。)

山本さん:実は横山社長は日本でフライフィッシングの草分け的な存在なんです。なにせフライフィッシングってものが日本に入ってくる前のことですから。それで社長はフライフィッシング用の釣り竿も自分で作れるようになったんです。

横山さん:とにかく情報がほとんどなかった。ただ弟が釣具関係の会社で働くようになっていたので、わずかながら情報を入れることができたんですよ。当時の日本は情報も道具もなかったからアラスカに行くとすべてが新鮮でしたよ。私が帰ってくると釣り好きたちの憧れのマトになっていましたよ(笑い)。「いいな、いいな」って。

出村:毎年、釣りを楽しむためにアラスカに行くなんて素晴らしいですね。いろんなエピソードがありそうですが・・・。

横山さん:そうですね。当時、アラスカで出会ったフィッシングガイドがいたんです。ジョニー・ロバート・ハリスっていうヤツで彼と友だちになったんですが、後に妹と結婚することになりました。それもあってアラスカ行きに拍車がかかってしまいました(笑い)。

山本さん:当時はアラスカでフィッシングガイドができる日本人がいなかったので、ロバートは「ニュースステーション」などのさまざまな日本のテレビ番組でアラスカのフィッシングガイドをするようになりました。作家の開高健さんのガイドもやっていました。

出村:そういえばフライフィッシングは早くから開高さんもやられていたようですが、横山さんとどちらが早いんですか?

横山さん:そうですね。開高さんは新潟辺りでやっていらっしゃいましたが、釣りでアラスカに行ったのは遅かったんです。だから私の方が早い(笑い)。開高さんに「アラスカに釣りにいくには何を持って行ったらいいの」って相談されたこともありましたよ。そうそう一度、いつもアンカレッジで泊まっているホテルが日本人で満室になったことがあったんです。それで、ホテルに「何があったんだ?」って尋ねたら開高さんとお付きの某洋酒メーカーがホテルの全室をおさえていたのだそうです。
開高さんがアラスカで釣りをしているビデオがあって、その中に開高さんがサーモンを釣ったシーンがあります。でも実は釣ったのは私。開高さんがなかなか釣れなかったんで私が釣ったサーモンを開高さんが釣ったように見せかけたりしたこともありました。(笑い)

出村:開高さんともお付き合いがあったんですね。

横山さん:いえいえ、私は3度ほどお会いしただけです。私は有名人の方があまり得意じゃないんです。弟は付き合いがありましたけどね。

出村:アメリカ人の弟さんは今でもガイドをされているんですか?

横山さん:はい。今でもアラスカに行った時はガイドをやっています。もう年だからやりたくないって言ってますけど(笑い)。実はバブルの頃に2エーカーで原生林付き、湖付き、水上飛行機が離発着できる滑走路付きの土地を買いました。そこにログハウスを作ったんです。現地の仲間が手伝ってくれて。ログハウスって丁寧にケアすればするほど価格も上がっていく。そういう感覚は日本とは全く違いますね。そこには20人ぐらい泊まることができるので日本人を対象にしたフィッシングツアーを組んで日本人を連れて行くわけです。弟は日本人客を連れて釣りのガイドをする。で、オフシーズンは翌年アラスカに連れていくお客を獲得するために日本で営業をしています。
一度、私もアラスカでガイドをしたことがあります。日本人のお客を連れて釣り場に案内してフィッシングをやった。ところがあるお客がなかなか釣れない。それで「釣れないじゃないか」って文句を言われたんですよ。「じゃあ、ちょっと竿、貸してくださいよ」って私がやったら、あっさり釣れた。そのお客は何と言ったと思います?「ガイドが釣るんじゃねぇ」って。「ふざけんな」って思いましたよ。それで、やっぱり自分はガイドに向かないなって(笑い)

山本さん:私も社長といっしょにアラスカに行ったことがありますが、とにかくガイドがいないとムリですね。一度、アンカレッジから飛行機で2時間ぐらいのところのコディアック島に行ってキャンプをしたことがありました。ホテルとか何もないところで熊とかも出る場所です。アラスカの果てなので、そんなところガイドがいないと絶対無理ですね。

横山さん:日本にはガイドというシステムがないのでピンと来ないかもしれませんね。アラスカに行けば誰でも自由にフィッシングが楽しめて、簡単に魚が釣れるだろうって思っていらっしゃるかもしれませんが、その前にルールが結構厳しいんです。そのルールも、その年、その月でどんどん変わっていくので、ちゃんと把握しなければならない。魚をキープできる数とか、ちゃんと守らないと捕まってしまうこともあるんですよ。それにレンジャーの人たちもいる。国立公園だとサーモンが捕れる時期には熊も出るのですがレンジャーの小屋に銃を置いていかなければなりません。アラスカの熊って日本の熊とは大きさもまったく違うんです。

出村:ということは、アラスカで熊に遭遇したこともあるんですか?

横山さん:襲われたことはないけど、熊が近くに寄ってきたことはありますよ。ある時、車を停めているところに戻ったら、そこに熊がいて車になかなか近づけなかったことがありました。熊が去るのを待っているだけでしたね。
アラスカではないのですが、一度、北海道でものすごく怖い思いをしました。社員たちを連れて毎年北海道に釣りキャンプに行くんですけど、テントの中で寝ていたらガオゥ~、ガオゥ~っていう声が聞えてきました。みんな寝ているフリをしていましたが、本当は目が覚めているんですね。恐いから現実を見たくない。外ではガオゥ~、ガオゥ~っていう雄叫びが・・・。これはなんとかしないとマズイぞって。襲われてしまうぞって思いましたね。それで1、2.3でライトを点けて大きな声を出そうということになった。で、1、2、3で大声をあげて外に出ると、熊じゃなくて野ギツネがガオゥ~って叫んでたんです。どうやら俺たちが食べたハナサキガニの残りを食べたらしく、それを喉につかえさせてゲーゲーやっていたんです。やれやれ・・・って。

山本さん:私もいっしょにいたのですが、その場所は北海道の知床で、熊がいる場所なんです。それで「あの声はヤバい。絶対熊だよな」って。実際に前の年にはその場所で人が熊に襲われていたんですよ。襲われた人は、最初は子供がテントにいたずらしていると思っていたらヒグマで、それでやられてしまったということでした。

出村:北海道でも釣りをされているんですね。

横山さん:そうなんです。魚が釣れればどこへでも行く(笑い)。実は北海道にはアラスカなんて目じゃないところもあるんです。入れ食い状態の場所があるんですよ。「こんな場所が日本に、北海道にあるんだ」ってびっくりしました。そこに釣り好きの社員たちで毎年行っていました。

山本さん:たくさん釣り雑誌は出ているのですが、その場所はちゃんと紹介されていませんでした。北海道では6月から7月が釣りの時期とされています。でも、実は秋の釣りが最高なんです。遊魚券料金も払わず60,70,80クラスの魚が自由に何匹でも釣れるような場所があります。たとえば阿寒湖あたりだと漁協があるんですが、それ以外のところは管理されている場所は少ない。基本的に自由なんです。そういった北海道のメジャーではない場所ではバンバン魚が釣れるんです。知る人ぞ知るっていう場所です。

横山さん、山本さんともに大好きな釣りのお話でヒートアップ!
後編では、更に盛り上がる釣りのお話。そして、あっと驚くいろんなお話が続々と出てきます。後編をお楽しみに!!

Interviewer : 出村隆行(ファイブスタークラブ)
Writer : 亀崎 恒(フリーライター)
Editor : 森 裕(ファイブスタークラブ)

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