
出店の下見で何度もロスを訪れた
東京は神田神保町に飲食店『名舌亭』はある。このお店を営んでいらっしゃるのが金子学さんだ。金子さんは1980年代の終わりからにアメリカに進出、オレンジ・カウンティのラグナヒルズという場所で当時アメリカでは珍しかった焼鳥店を出店された。数年間を単身アメリカで生活することになった金子さんが見たアメリカの風景は、どのようなものだったのだろうか。今回は金子さんにアメリカの思い出を語ってもらうとともに、実際に遭遇されたロス暴動のことについても触れてもらった。
<プロフィール>
1949年(昭和24年) 東京都江戸川区に生まれる
1969年(昭和44年) 20歳の時、神田神保町の割烹料理『花家』を営んでいた母親を手伝う。
1980年(昭和55年) 母親の他界のため、神田神保町の現在の場所に飲食店『名舌亭』をオープン。
1989年(平成元年) アメリカに進出、母親の名前にちなんで、レストラン「HANA」
をオープン。同店を閉店後、現在に至る。
『炭火焼 名舌亭』(すみびやき めいたんてい)
<TEL>03-3291-2949
<E-Mail> kandameitantei@yahoo.co.jp
<住所>〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-34
森:金子さんは、どのようなお仕事をされていらっしゃるのでしょうか?
金子:はい。東京の神田神保町で『名舌亭』という飲食店を営んでいます。オープンしてかれこれ30年以上が経ちました。最初は知人ら3人で10坪の店から始めました。当初は少し大変でしたが、そのうちにお客さんがついてくれてなんとかやっていけるようになりました。そして3年後には同じ神田の須田町(現在閉店)に店を出して、その3年後にはアメリカに行くことを考えはじめました。

森:『名舌亭』といえば、神保町では美味しいと評判の焼鳥店ですね。それにしてもオープンして数年後にアメリカにお店を出そうと考えられるとは、かなり儲かっていたのですね(笑)。
金子:いえいえ、そうでもありませんよ(笑い)。実際には須田町のお店を閉めて行ったのですから。ただ、いつかはアメリカにお店を出したいとずっと思っていたんです。それで80年代の中頃からアメリカにたびたび出向いて、出店する場所をリサーチしたり、アメリカで生活をするには何が必要になるのかといったことを探り始めました。その準備期間として2年以上かけましたね。
森:何故、アメリカにお店を出そうと思われたのですか?
金子:アメリカに対する憧れからでしょうか。僕たち戦後に育った世代にとって「メイド イン USA」っていうものに対する憧れが強いんですよね。音楽にしても文化にしても、生活スタイルにしても。アメリカのものは何もかもがカッコいいというか、そういう憧れの対象でした。最初にアメリカに行った時、飛行場の大きさにはびっくりしました。空気も日本とは違っていました。ロスに降りたときにフリーウェイが6車線も7車線も伸びている。『何だ!これは!!』って。規模がまったく違ったんですよ。それに僕はアメリカの建物が好きだった。ゴールデンゲートブリッジやエンパイアーステイトビルって、当時の日本では見られない大きさでアメリカの象徴でした。

上空から見たサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジ
だからいつかはアメリカで何かやりたいと思っていました。それと僕の中学の時の同級生がカリフォルニア州のオレンジ・カウンティにいて、何度か遊びに行っていたんですよ。それで僕もこのアメリカで商売をしたいなと思うようになっていったわけです。

森:なるほど。で、アメリカでのリサーチとはどのようなことを?
金子:当時、ロスアンゼルスでは寿司バーが流行っていたんです。もちろん寿司バーはできないので、何をどこでやったらいいだろうかを考えていました。富裕層を対象とするのか、若者を対象とするのかでも違ってきますから。そういうことを考えながら、いろんな町を見て回っていました。で、同じオレンジ・カウンティにニューポートビーチというところがあるんです。ロスアンゼルスで40分ぐらいのところなんですけど、そこにまず目をつけました。サーファーも多いし若くてお金持ちのヤッピーたちもたくさんいる。雰囲気もいい町なんです。ところがお金を持っていても若い人はあんまり食べ物にお金を使わないことが分かった。それで目標を変えようと。もっとお金持ちがいる町がいいと思って、次に候補地にしたのが、やはりオレンジ・カウンティのラグナヒルズというところでした。ここはアメリカの典型的なお金持ちがいる町なんです。

当時は人口5万人ほどで、メキシカン、中国人、日本人、ベトナム人、韓国人、白人というように人種もさまざま。で、環境もすごくいいところです。寿司屋やてんぷら屋がメインですが、日本のレストランもいくつかありました。そして近くにはラグナニゲルという町があって、そこには牧場があって馬がいて、ホテルがあって、なかなかリッチな雰囲気なんです。それで半年ほどかけていろいろ調べて、よしここにしようって決めました。
森:リッチな町という以外では、決め手となったものはあったのですか?
金子:ラグナヒルズから車で約20分のところにアーバインという町があるんです。そこは日本の企業が進出していたんですね。キャノンや東芝、ナショナルがあって、その他大手の日本企業がアーバインに来ていた。それで、これなら日本人のお客も引っ張って来れるんじゃないかと思ったのです。それと出店しようと思っていたショッピングモールも大きいもので、これが完成したら見事なものだろうなって思っていました。


森:それでラグナヒルズへの出店はスムーズに運んだのですか?
金子:それがそうでもないんです。最初は日本人の設計士に頼もうと思っていたんですが、考え直してアメリカ人の設計士に頼んだんです。その彼はチャイニーズレストランなども手がけていて、そのレストランは内装もいいし、結構お客も入っていたんです。ところが僕の意向を伝えても、焼鳥というものをまったく理解できない。炭がどういうものかも分からない。それでいろいろな写真を持って行って説明したのですが、ダメで・・・。結局、ガス台しかないということで炭火の代わりにガス台を使用することになりました。それと市場も調べなければなりませんでした。市場はロスアンゼルスまで行かなければなかったんです。フリーウェイを使ってだいたい40分ぐらい。治安の悪いところも通っていかなければならないんですよ。だいたい市場って土地の価格が安い場所にあるんですが、土地の安いところというのは治安も悪いんですよね。


森:車で40分というとそう遠くはないですが、治安が悪いのはちょっと嫌ですよね。アメリカ社会は車が必須ですが車はロスで購入されたのですか?
金子:実は、僕はそれまで車の免許も持っていなかったんです。それで免許もアメリカで取得したんです。日本と同じように学科と技能があるのですが、学科は参考書を持ち込んでいいんです。だからそれほど苦労しませんでした。ただ、アメリカでは問題が間違っていると○、正しいと×をつけなければなりません。日本とは逆ですね。そこには気をつけなければなりません。試験代も10ドル。それで学科が受かったら技能です。で、困ったのは車がなかったこと。それで「何でもいいから誰かに借りて来い」ということで。それでなんとか車を手に入れて、後は教官といっしょに乗ればいいだけ。だから比較的スムーズに取得することができました。
それとアパートを借りる時に必要になるのがソーシャルセキュリティーカード。それは納税する義務がありますよというカードで申請すればすぐにもらえます。これは1度取ったら一生使えるというものですが、両親のことや犯罪歴を調べられます。それでアパートを借りて、銀行口座を作って送金してもらうようにしました。そしてもう1つ取得したのがE-2のVISA。日本人がアメリカに会社を作り、レストランなどを開業する場合に必要になるライセンスVISAなんですが、これを取るのがなかなか難しいのです。連絡が来るまでアメリカ国内にいて、その後、一旦日本に帰国してアメリカ大使館へ出頭しなければいけないんです。そういう面倒なこともいろいろとやらないといけないのですが、そんなアメリカでの生活に必要なことが全部載っている日本人向けのガイドブックがあって、それを参考にしていろいろと準備していきました。
森:80年代の中頃から出店の準備をされて、実際にアメリカにお店を出されたのは何年頃になるのでしょうか?


金子:87年あたりから、いろいろとリサーチして1989年の5月頃に出店しました。それから1992年頃までやっていました。出店したショッピングモールは大きい施設でオーナーはメジャーリーグの「サンディエゴ・パドレス」のオーナーです。で、店の面積は80坪ぐらい。それぐらいの規模のお店が10軒ぐらい並んでいる。飲食店はうちだけで、他にはアイスクリーム店、酒店、柔道の道場などが入ることになっていました。家賃は日本円で、月60万円ぐらいです。それ以外は権利金などもなし。オーナーからは50台駐車できる駐車スペースも用意してもらいました。それで開店して数年間やっていたのですが、その間に起こったのが、いわゆるロス暴動です。
森:えっ、あのロス暴動を目の辺りにされたんですか?
金子:そうです。簡単に説明しておきましょう。ある時、1人の黒人が何人もの白人警官に袋叩きにあっている映像がテレビのニュースで流されました。この事件がロドニー・キング事件です。この映像がきっかけとなって黒人に暴行を加えていた白人警官3人とヒスパニック系警官1人が捕まって起訴されました。これとは別に、ロドニー・キング事件の数日後(13日後)に、商品を万引きしようとした黒人の少女を韓国人の店主が射殺するという事件も起こったんです。この韓国人店主はもちろん逮捕されたのですが、判決は5年間の保護観察処分、およびボランティア活動400時間、罰金500ドルという殺人罪としてはかなり軽いものだったんですよ。その後に、さっき白人警官たちの裁判もあったのですが、こっちも全員無罪評決が下された。この2つの事件の判決に対して黒人たちの怒りが一気に爆発してしまった。黒人たちの怒りは白人と韓国人に向かっていき過激な暴動が起こったというわけです。
ロス暴動が起こった朝のテレビのニュースでは、信号待ちしていた白人のトラック運転手を暴徒化した黒人たちが引きずり降ろしてボコボコに殴るという衝撃的な映像が流されていました。まさか、そんなに大変なことになるとは思っていませんでした。
森:お店の方は大丈夫だったんですか?
金子:はい。その日、レストランに行ったら、夕方になってマネージャーが「ボス、大変なことになった」というではありませんか。「明日はどこにも行けないよ」って。困ったなって。僕は次の日にロスまで食器を取りに行かなきゃいけなかったんです。で、店から帰ったらテレビで町が火で燃えているシーンが映されていました。これはかなり危ないなと。僕が行かなきゃいけない場所はロスのロングビーチのちょっと先で、日本の窯元がやっているところだったんです。
森:私もテレビでロス暴動の光景を見ましたが、あの暴動が起きている時にロスに向かうなんてムチャですよね。
金子:ただ、行かないわけにはいかないなって思って。マネージャーは「ボス、1人で大丈夫か」って訊くんですけど、大丈夫じゃないけど、お前もいっしょに来いとは言えないですからね。しょうがない、オレ1人で行ってくるよって言って。それで戒厳令が敷かれるから夕方6時までにフリーウェイに乗れということで。食器屋さんも「準備はしておくけど、黒人には気をつけろ」って言ってました。黒人には日本人と韓国人の顔の違いは分からないからって。われわれから見ても簡単には分からないですよね。車でロスに向かって走っていると、一般人たちが、ショットガンを持っているんです。韓国人街も通らないといけない。そこに行くまでも火の手が上がっている。放火や略奪が起きていたんです。街が燃えていても、パトカーも消防車も来ない。

で、やっとの思いでロングビーチまで行ったら、今度は黒人がもうすごい!ショットガンを持っていて。これはマズイなって思いました。撃たれた終わりですから。それでトラックは食器で満載なのでスピードも出せない。あの時が一番怖かったですね。まぁ、それでなんとか何事もなく店に帰ったら、みんなが拍手で迎えてくれました。心配していたらしいけど、誰1人として付いていくとは言わなかったですけど(笑)。とにかく、あの暴動はすごかったですよ。
森:あのロス暴動を体験された日本人は少ないでしょうね。そういう意味では貴重な体験をされたわけですね。
金子:まぁ、そういうことになりますかね。で、あの時は食べ物も来なくなったんです。ケンタッキー行っても暴動の影響でチキンがないって。マクドナルドでもパンがない。しばらくは食べ物もなくなったんです。
森:ロス暴動の最中、お店は営業されたんですか?
金子:なんとかやっていました。というのはラグナヒルズにはほとんど黒人がいないんです。だから比較的穏やかでした。黒人を入れると土地の値段が下がるということもあったので、ラグナヒルズみたいなお金持ちの町には黒人を入れないのです。そういう意味では、やはりアメリカは人種間の壁がある国だと思います。
森:金子さんもそんな人種的な壁がネックとなったことはあったのですか?
金子:たとえば、従業員を募集すると、いろんな人たちが来ます。中国人だったりアメリカ人だったり。でも「あなたは中国人ですか?」なんて気軽に訊けないんですよ。うっかり訊くと、訴えられることだってある。こんなこともありました。うちの店の前に大きなゴミ収集のトラックが止まっていたことがあった。それが邪魔になって従業員募集の張り紙が見えない。それで文句を言おうと思ったら、「ボス、今日はやめてください」って言われて。なぜかなと思ったら、12月7日。パールハーバーの日だったんです。日本がアメリカに奇襲をかけた日だから、どうしても良い感情は持たれませんよね。1度、市場で黄色いスイカを買ってきたことがありました。それをみんなで食べようと思って。そうしたら、みんながびっくりしているんですよ。訊けば、スイカは黒人の食べ物だって言うんですよ。メキシコ人がそれを言っているので、なんかおかしいですよね。


カウンター前の調理場に立つ金子さん
森:ところで、お店の経営の方はいかがだったんですか?それと焼鳥に対しての現地の人の反応というのはどうだったんでしょうか?
金子:結局、黒字にはならなかったですね(笑い)。お客さんは白人が7割で日本人が3割。こちらの読み通りアーバインから日本企業に勤める人たちもたくさん来てくれました。それは良かったのですが、今でこそアメリカでも焼鳥は人気が出てきましたが、当時は焼鳥よりも焼き芋や焼きとおもろこしが好まれていました。だからうちが出店したのはちょっと早かったかもしれません。焼鳥の種類では砂肝などの内臓系はあまり好まれませんでした。驚いたのがご飯。彼らはご飯にしょうゆをかけて先に食べるんです。それでお腹いっぱいになるから、その後には焼鳥を食べようとはしないんです。ただ塩も砂糖も日本から持っていってタレを作っていましたからタレは人気があって、「それを売ってくれ」って言われたことは何度もありました。それと、うちの唐揚げはよく売れましたね。

森:なるほど。ところで金子さんは従業員からはどう見られていたんでしょうね。
金子:好感を持ってくれていたみたいですよ(笑い)。ホットでフレンドリーだって。僕は自分の家に従業員たちを呼んで、みんなで食事したりしていたんです。それで自分のベッドに寝させたりしていた。さっきも言ったようにアメリカには人種の壁がありますが、僕はそういう偏見がない。従業員たちはメキシカンが多かったのですが、だからと言って区別しない。そんなわけで「じゃあ、ボス、飲みに行こう」って連れてってもらったのがアナハイムのメキシコ人街。そこは危ないところとされていて普通は行けないのですが、彼らといっしょだから行くことができたんです。
森:やっぱりアメリカって怖いところもありますよね。怖い目に遭われたこともあるんですか?
金子:もちろん、ありますよ。そういえばロスアンゼルスのリトル東京の付近で日本人のツアー客がいました。ガイドさんが「こっちから先は行かないように」って言ってるのを何気なく見ていたんです。ガイドさんがいなくなったら黒人が彼らの方に寄ってきて「タバコ、くれ」って言ってるんですよ。すると、日本人たちはあっさりあげている。あれは危ないですよね。僕が怖い目に遭ったのは交差点で。そこは本来止まってはいけない交差点だったんですが、ちょっとならと思って止まってしまったんです。すると、黒人がすっと来て、たまたま車の中にタバコを置いていたのを見つけて、タバコをバサッと抜き取って箱だけポンと投げられたんです。あの時はかなり怖い思いをしました。タバコを取られただけで何もなかったので良かったんですが・・・。


森:逆に、よい思い出として残っているエピソードはありますか?
金子:店をやる前だったのですが、女房とニューヨークに行ったことがあるんです。それで中華料理を食べようって、ブロードウェイの裏にあるチャイニーズレストランに入った。それで一通り食べ終わった後に店内を見るとピアノが目に付いたんです。それでせっかくニューヨークに来たんだからって店の人に「ニューヨークニューヨーク」をやってもらえないかってリクエストした。すると、「ごめんなさい。楽譜がないのでできません」って。それじゃ、しょうがないんで帰ろうとすると、マネージャーが来て「こっちに来い」って言うんです。で、案内されたのは地下のバー。「そこに座われ!」って席に座らされたんですよ。すると、後ろからすっと女性が入って来てピアノの前に座った。そして「ニューヨークニューヨーク」を弾いてくれたんです。そしてマネージャーが一言「ニューヨークに来たら、また寄ってくれ」って。その時の印象は良く覚えていますね。
森:カッコいいですね。アメリカらしいというか。で、アメリカは各地に行かれたんですか?
金子:そうですね。ハワイやグァムにはずっと前に観光で行きました。それからロスアンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガスなどなど。ビーチにも良く行きましたよ。サーフィンには恰好の場所であるハンティントンビーチでウインドサーフィンをやったり、ベンスビーチでスケボーをやってる人たちを眺めたり。まさに山下達郎の音楽の世界ですよ。そしてサンタモニカのビーチの大きさには本当に圧倒されましたね。でも僕にとって一番良かった場所は、やっぱりラグナヒルズですよ。
森:金子さんのお話を聞いていると、本当にアメリカの楽しい雰囲気が伝わってきます。最後に、アメリカを楽しむためのコツを教えてください。
金子:アメリカに限ったことではないかもしれませんが、日本人って海外で日本人に会ってもよそを向いて挨拶をしようとしません。そういう陰険な態度はやめること。挨拶をかけられたらちゃんと挨拶するべきです。そうすると、いろんな情報を手に入れることだってできるはずです。それと現地の人と口をきくこと。フレンドリーにしゃべって仲良くなること。英語ができなくても、カタコトでもしゃべって友だちになることが大切です。そうすると、いろんなものが見えてきます。そして間違っていることがあったら文句を言うこと。分からないことがあったら、どんどん訊くことです。しゃべることでアメリカの旅はずっと楽しめるんです。
森:なるほど。自分から積極的にしゃべるっていうことが大事なんですね。今日はお忙しいところ、アメリカの楽しいお話をたっぷりとお聞かせいただいて、ありがとうございました。
Interviewer : 森 裕(ファイブスタークラブ)
Writer : 亀崎 恒(フリーライター)
Editor : 森 裕(ファイブスタークラブ)
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