
(中央の女性がその年の"プレイメイト・オブ・ザ・イヤー")
1975年の創刊以降、日本の男性雑誌を常に牽引してきたのが「PLAYBOY日本版」である。海外取材記事あり、著名作家による体験記事あり。それまでの男性誌にはまったく見られなかった斬新な企画で多くの読者を魅了してきた。そんな「PLAYBOY日本版」に創刊から編集者として携わり、後に約6年間編集長を務められたのが鬼木真人さんだ。今回は「インタビューすることはあっても、インタビューされることはない」という編集者・鬼木真人さんに、これまでの旅の思い出、これからの旅の夢をうかがってみた。
<プロフィール>
1949年8月10日 熊本県熊本市に生まれる。
1974年3月31日 東京都立大学人文学部英文学科卒業
1974年4月1日 (株)集英社入社 新人研修を経て、PLAYBOY日本版創刊準備室に配属され、創刊後もそのまま編集員として日本や世界を飛び回る
1975年5月25日 PLAYBOY日本版創刊
1982年 PLAYBOY日本版 創刊5周年記念企画として誕生した『全東洋街道』<著・写真:藤原新也>が第23回毎日芸術賞を受賞
1982年3月 週刊プレイボーイ編集
ニュース班のデスクに任命され様々なニュースにかかわった
鬼木真人の「重大ニュース!!」
★日本航空ジャンボ機の御巣鷹山への墜落事件(1985年)や、オウム真理教の事件(1995年)が強烈な印象として残っている
★1990年10月にベルリンの壁が崩壊 2ヵ月後の12月にベルリンに飛んだ。クリスマス・イブにレナード・バーンスタイン指揮のベルリン・フィルハーモニーが演奏するベートーベンの第九交響曲がベルリンの街に流れる中、東西の市民が壁を踏み越えて抱き合うシーンが、今も忘れられない感動として胸によみがえる・・・
1984年 ブラジル生まれの日系二世の奥様と結ばれる
1991年7月 Bart編集
1991年11月 Bart編集 副編集長
1995年3月 週刊プレイボーイ編集 副編集長
1996年2月 PLAYBOY日本版編集 編集長
2002年3月 第10編集部 部次長(兼)生活文化編集長
2004年9月 新書編集部 部長代理(兼)新書編集長
2006年7月 第5編集部 部長

(現在は絶煙されました)
―これまで出版社の「集英社」で雑誌の編集畑を歩まれてきたということですが、どのような分野を手がけてこられたのでしょうか?
鬼木さん: 入社して35年ほどになりますが、メインとして男性誌にかかわってきました。「PLAYBOY日本版」で編集者としてスタートして、30歳を過ぎた頃に「週刊プレイボーイ」編集部に移り、その後に男性向け総合グラビア誌の「BART(バート)」を担当しました。そしてまた「週刊プレイボーイ」に戻って、その後に「PLAYBOY日本版」の編集長を6年ほどやりました。その他には女性向けの「集英社be文庫」や集英社新書などに関わってきました。そうそう、旅という分野では、今年2月に創刊した「DVDでめぐる世界の鉄道 絶景の旅」という分冊百科の発行人にもなっています。

『オーパ!』<開高健(著)、高橋昇(写真)>刊行10周年記念イベントで
世界遺産にも指定されている世界最大級の湿原地帯・パンタナールへ(ブラジル)
―「PLAYBOY日本版」や「週刊プレイボーイ」には、70年代に青年期を送ったわれわれはいろんな意味で大変お世話になりました。ありがとうございました(笑)。とりわけ「PLAYBOY日本版」は男性総合誌の草分け的な存在であり、月刊男性誌を牽引してきたといっても言い過ぎではないと思います。ちなみに鬼木さんは入社してすぐに「PLAYBOY日本版」の編集部に配属されたのですか?
鬼木さん: 正確に言えば、「PLAYBOY日本版」が創刊される前の年に入社しました。その年の暮れに「PLAYBOY日本版」の出版準備室ができて、そこに配属されたのです。英文科を出たということで、上の方が「英語ができるヤツ」と勘違いして配属してくれたのかもしれませんね(笑)。そして次の年(1975年)に創刊され、私は「PLAYBOY日本版」の編集者として歩むことになりました。きれいな女性の裸も載っているけど、時事問題や硬派なネタも取り上げるというところがウケたのでしょう。その年の暮れに発行部数は90万部にも達していました。出版に勢いがあった時代だったのでしょうね。

2年に1回開催される(1996年)
―そういう意味では、2009年1月号(2008年11月発売)が最終号となってしまったのは大変残念です。ところで70年代当時というのは今のように誰でも海外に行ける時代ではありませんでした。その点、「PLAYBOY日本版」はアメリカの「PLAYBOY」を日本向けに編集しなおして出版したものだったので海外情報や海外取材ものがたくさんあって、読者にすごく海外への興味を持たせてくれました。その頃に「PLAYBOY日本版」で編集を担当されていたということは、最初に海外を旅されたのは仕事がらみだったのでしょうか?
鬼木さん: そうです。人生はじめての海外の旅は1976年のアメリカ建国200周年の時。もちろん仕事で行かせてもらいました(笑)。建国200年ということで「PLAYBOY日本版」では2号連続でアメリカ特集を組むことになり、2チームに分かれてアメリカを取材しました。私は一番若いということでウエスト・コーストと、中西部の田舎の方を取材して回ることになりました。ロサンゼルス、サンフランシスコ、アリゾナ、テキサス、コロラド、ワイオミング、ユタ、オクラホマそしてニューヨーク。もっともニューヨークは仕事ではなかったのですが・・・。
―当時のアメリカの旅というのは、大変だったのでしょうか?
鬼木さん: アメリカではクレジットカードを持っていないと、レンタカーも借りることができないと聞いて、どうしたものかと思いました。今でこそ誰もが普通に使っているカードですが、当時の日本では一流企業の役職クラスの人しか持てない時代です。それでJALの広報の方にいろいろとお世話をしてもらって、やっと自分のクレジットカードを持つことができました。人生初めての海外の旅で、初めてカードが持てたというわけです。

―初めて見るアメリカという国にはどのような感想を持たれましたか?
鬼木さん: そうですね。アメリカ文化に憧れを持った世代だったこともあって、見るものすべてが新鮮でした。車で移動していて車窓を流れる風景を見ている時、「このままアメリカにとどまって、アメリカ人になりたいなぁ」と本気で思ってしまいましたよ(笑)。「ナイス・ツゥー・ミーチュー」という言葉も知らなかった。アメリカ人は「頑張れ!」って言わない。「テイク・イット・イージー」って表現するんだってことだけで、もう感動してました。ちょうどその頃、イーグルスの「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」という曲が流行っていた頃で、アメリカの風景にぴったりはまっていましたね。
―そんなアメリカ中西部の旅でとくに印象に残っている出来事ってありますか?
鬼木さん: 当時のアメリカは、まだベトナム戦争の影が色濃く残っていたんですね。ヘリコプターをチャーターしてグランドキャニオンを撮影したのですが、そのパイロットの操縦がすごく乱暴なんですよ。で、話を聞いたら、そのパイロットはベトナム戦争に行ってきたベテラン(退役軍人)パイロットだったんです。ついこの間まで、ベトナム戦争をやっていた国だっていうことを改めて知らされました。それで、そのパイロットと仲良くなって彼の家にも遊びにいきました。普通のアメリカ人の生活に触れることができたひと時で、とても楽しい思い出ですね。でもそれからしばらくして彼がヘリコプター事故で死んだと聞いて、複雑な気持ちになりました。彼と話をしていて、「心の闇」のようなものを感じたからです。
―「PLAYBOY日本版」といえば開高健さんの「オーパ!」に代表されるように、著名人による海外取材記事もウリの一つでしたが、鬼木さんも、著名な作家の方といっしょに海外取材をされていたのですか。

鬼木さん: そうですね。「オーパ!」が掲載されていた頃、作家の大藪春彦さんがモンゴルでハンティングをやりたいということで、私はカメラマンの山本皓一さんといっしょにモンゴルのアルタイ山脈に同行しました。大藪さんはハンティングに凝られていてアフリカなどでもハンティングをされていました。アフリカで象などのハンティングを体験したすご腕ハンターの最後のあこがれの地がアフガニスタンやモンゴルです。それで大藪さんがモンゴルでマウンテン・シープのトロフィー(ハンティングトロフィー=狩猟剥製標本)を獲りたいということで、モンゴルを目指したのです。

当時はモンゴルに行くにも一苦労です。東京からモスクワに飛んで、そこからウランバートルに入りましたが、やりとりが大変でしたね。ビザを取るのも大変。出発の2日ほど前にモンゴル大使館に行って「なんとかしてくれ!」って訴えてやっと下りました。ハンティングにしても「1頭撃つといくら」というようになっていて、旅費等々合わせ、当時のお金で1000万円近くもかかりました。考えてみれば、当時は編集部もお金があったんです(笑)。現地では通訳の人がついていたのですが、あの時代ですから、通訳というよりも監視役、秘密警察なのです。我々はライフルとカメラ器材をたくさん持った資本主義国家のスパイというわけです。

だから写真を撮るにもかなりうるさい。砂漠に転がっている動物の死骸の写真を撮ったら、「なんでそんなもの撮るんだ。写真は没収だ」って。もうひとつひとつがそんな調子で大変でした。

7月に行ったのですが、アルタイ山脈には雪が降ってね。雪の中を1ヵ月馬で移動していく。寝泊りは、もちろんゲル(パオ)。それでその時の大藪さんのハンティングの記事は「7月の雪」というタイトルにしたことを覚えています。

―やっぱり、海外でのハンティング取材なんて「PLAYBOY日本版」らしいですよね。当時は一般の人が体験できないことを「PLAYBOY日本版」が誌上で見せてくれました。写真と文章で外国を紹介して、読者に外国への憧れを持たせてくれた雑誌ですね。
鬼木さん: 確かに海外物は多かった。写真と文章ということで思い出したのですが、僕にとって一番大きい仕事だったのは写真家の藤原新也さんといっしょに「全東洋街道」というタイトルで1年間ぐらい連載できたことです。当時の藤原さんは新しい表現者としての魅力がある写真家でした。「全東洋街道」の取材ではギリシャから入って旅がスタートしたのですが、アテネでいきなりボッタクリに会ってしまいました。ホント、先が思いやられるというかなんというか...。初日だったんで「しっかりフンドシを締めていかねば」って、旅の戒めになりましたけど。アテネからセサロニキに入って、そこから列車に乗ってイスタンブールに行きました。そこからが「全東洋街道」の旅の始まりです。結局、イスタンブールには1ヶ月近くいました。ああいう大都会って面白いし悪の匂いがするというか・・・。現在(いま)を見る旅、そこで生きている人のパワーとかを感じるには都会なんですよね。
―その藤原さんといっしょの旅では学ぶことも多かった?
鬼木さん: 藤原さんはそれまでにインドやチベットを放浪されていて旅慣れている人なので、男がいつもいっしょにいたらどうしてもケンカになるということを知っていて、途中で別のホテルに泊ろうということになりました。また、ホテルに着いて泊る前には「部屋を全部見せろ」とホテル側に言って泊れる部屋を全部見るのです。窓を開いて外の景色も見る。旅慣れたバックパッカーはそうするらしいんですけど、私はそれまでそんなことはまったく知りませんでした。ただなかなか決めてくれないんですよ。大きな荷物を持ってホテルを2、3軒はしごするんです。こっちは疲れていて「ひと晩寝るだけなのに」と思っていました(笑)。そういう意味では藤原さんから旅の仕方を習いましたね。
―その旅で特に印象に残っている出来事ってありますか?
鬼木さん: 「全東洋街道」では食べ物の写真も撮っていました。イランの砂漠の小さい町で昼飯をとったのですが、その時に、確かローストチキンのような鳥料理が出ました。まずその鳥料理を撮影して、撮り終わった後にその鳥を食べることになったのですが、撮影中に食欲がなくなったこともあって結局全部は食べきれなかったのです。それで余った料理はそのまま残して引き上げたのですが、ふいに藤原さんが車の中で「さっきの鳥はどうした?」って尋ねられたので、「そのまま置いてきました」と答えると、急に血相を変えて「食い物を粗末にすんじゃない!」って怒鳴られたんです。当時は私も若くて、それに疲れていたこともあってムカッとしてしまいました。で、その日の夜は孤児院のような場所に泊めてもらったのですが、「今日はメシ抜きだ」って何も食べないんです。その時は「クソッ!」ってアタマにきましたが、今は、藤原さんがおっしゃったことがよく分かりますね。私は「全東洋街道」でいえばパキスタンまでいっしょだったのですが、そんな藤原さんとの旅は、いろんな意味で楽しい思い出です。
―思い出ということでは海外で忘れられない体験もいろいろとあったと思いますが、プライベートの旅ではいかがでしょうか?
鬼木さん: いくつかありますが、やはりブラジルで妻と知り合ったことが一番忘れられないかもしれませんね(笑)。

―奥さんはブラジルの方なんですか?出会いというか、いきさつを少しうかがってもよろしいですか?
鬼木さん: え~、はい。彼女はアマゾンの奥地、ポルト・ヴェーリョという町で生まれた日系のブラジル人です。28年ほど前に私が夏休みを利用してブラジルを旅した時に知り合ったんです。もともとブラジル音楽が好きでサンバのルーツであるブラジルに行ってみたいと常々思っていました。で、最初はリオに行ったのですが、ついでだからアマゾンの方まで足を伸ばして"アマゾンの夕日"を見てみたいと思ったのです(笑)。まあ、それと実はアマゾンに知り合いがいたんです。その人は、「おみっちゃん」という女性で、新宿のゴールデン街でお店をやっていた人でした。カメラマンだったのですが、ある時、「私、ブラジルに行くから」と言って日本人向けの新聞のカメラマンとして行っちゃった。その人がアマゾンでお店をやっているという話を聞いたんですね。その情報をもたらしてくれたのが唐十郎さんで、唐さんが南米を公演して回っていた時にその店に行ってきたって言うんです。それで私もその店を訪ねて行ったというわけです。で、あった、あった。マナウスという街のオペラハウスの前に「まるみ」と書いたお店が。で、「とうとう来たよ」ってお店に入っていって旧交を温めたというわけです。

―そこに奥様が働いていたというわけですね?
鬼木さん: いえいえ、そうではなくって、彼女は当時高校生で、時々その店にお昼ご飯を食べに来ていたんです。私はヒマだから毎日お昼からその店でビールを飲んで時間を過ごしていた。そんな時に彼女と出会ったのです。私の一目ぼれというわけです。で、1週間後には「1年後に迎えに来るから」ってプロポーズしていました(笑)。

―びっくりするような"素敵な旅の思い出"ですね。
鬼木さん: そうですね。旅の話とは少し違うかもしれませんが(笑)。で、1年後にもう一度ブラジルに迎えに行って結婚することができました。お兄さんにぶん殴られましたけど...。以来、ブラジルにはよく行くようになりましたね。
―お兄さんにぶん殴られたっていうのもすごい。貴重な話をどうもありがとうございました。ところで、これまでで多くの国を見てこられたと思うのですが、今後、行ってみたい国というのはありますか?

鬼木さん: そうですね。これまで30~40カ国ぐらい行ったでしょうか。仕事がらみも多いのできちんと見たという意味では少ないかもしれません。その中で少しじっくり見れたのはスペインくらいかな。スペインには家族といっしょに行って長い時間をすごしました。これから行きたい国としては、まずイタリアですね。過去にもローマやボローニャ、ミラノ、トリエステには行ったことはあるのですが、ちゃんと見てみたいと思っています。塩野七生さんの『ローマ人の物語』をはじめとするイタリア関連の本を読んでイタリアの歴史に非常に興味を持ったからなのですが、その入口はイタリアワインなんです。ワインが好きでいろいろと飲んでいるうちに出会ったのがイタリアワイン。約3000年の歴史があると言われるイタリアのワインは、1980年代くらいから新しい作り方で高い品質のワインを作り出してきました。グローバル品種を取り入れて世界市場と競争していくための新しい作り方を進めてきたのです。しかしここにきて、地方ごとにたくさんある地ぶどうを大切にしてワインを作ろうという流れになってきています。そんなイタリアワインが好みというか。そして料理と合わせるというのが向こうのワインの飲み方なんですね。そういうことを考えると、やはり現地にゆっくり行きたいなと。一筋縄ではいかないイタリアワインを飲みながら現地の料理を味わってみたいと思っています。自分が勉強してきたイタリアの歴史に触れつつ。
それともう一つ、実現できるかどうか分かりませんが、アフリカ大陸縦断バス旅行をやってみたいですね。バスといってもトラックの荷台を改造したやつで、エジプトのカイロからケープタウンを数ヶ月かけて縦断するという壮大な旅。今後の"旅の夢"として持ち続けていたいですね。そのためにも好きなお酒もほどほどにして、体を鍛えていたいと思います。
-「アフリカ縦断の旅」、ぜひ実現させてください。今日は、いろいろと楽しい旅の話をありがとうございました。
Interviewer,Writer:亀崎 恒(フリーライター)
Editor:森 裕(ファイブスタークラブ)
<次回予告>
キプロスの古代遺跡『クリオン遺跡円形劇場』で東洋人初の俳優としてカンパニーEAST『王女メディア』主演!
カリスマダンサーにして俳優の
神<じん>ひろし さん
★★★★★ファイブスタークラブ・ツアー情報
ファイブスタークラブでは、鬼木さんゆかりの地に興味を持たれた方々のためにツアー情報をご案内いたします。
<鬼木さんが大藪春彦さん、山本皓一さんといっしょにマウンテンシープを追いかけた!きっと今も変わらないモンゴルの大地を訪れる旅>
=ゲル(パオ)に泊まる=
★世界遺産のカラコルム遺跡へも訪問!! モンゴル大草原・ゲルに滞在・乗馬体験 5日間で楽しむ モンゴルの旅
★大草原のゲルにロングステイ モンゴルで遊牧民&乗馬三昧 しかも馬は5日間乗り放題
★高さ800m!! ケタ違いのスケールに大感動!! モンゴルNo.1のホンゴル大砂丘探訪と おすすめモンゴル周遊ハイライトの旅
<鬼木さん憧れの地・ブラジルで「アマゾンの夕日」を見る!大自然に触れる旅>
★ブラジル大周遊!見どころ満載 世界最大の大湿原パンタナール イグアス滝観光&アマゾンジャングルにも滞在
★ピラニア釣り&ワニ狩り 気軽に秘境へ! ボートでアマゾン河・ジャングルにも滞在 おもしろ体験・ブラジルを知る旅 水・木曜日出発
★白砂の砂漠が波打つ雄大な光景レンソイスと 世界遺産の大瀑布イグアスフォールズ周遊 大自然の迫力に感嘆・美しい世界に感動の旅
<鬼木さんの興味をかきたてるイタリア料理やワインに触れる旅>
★ナポリマンマの秘伝料理のレッスン体験!! おいしい料理&ふれあいの南イタリアの旅 地中海の島・カプリ島とナポリに各2連泊
★レモン農家のアグリツーリズモに泊まる!! 家庭料理も賞味 のんびり楽しむ南イタリア ソレント・カプリ島・ナポリ周遊
★南イタリアの美しき小さな町を極める!! 白い町並イトリアの谷やレッチェも訪問 トゥルッリホテル&洞窟(サッシ)ホテル滞在
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