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有名人旅行記 記事一覧
第26回 2012新春対談 『我々が旅行業界の中で歩んできた道。そしてこれから』 「旅人舎」代表 濱谷雅之氏vs弊社代表 川崎真弘

(写真右)弊社川崎:南パンタナールでピラニア釣り(2007年ブラジル)
若き青年時代、同じ釜の飯を食いながら切磋琢磨した、株式会社旅人舎(新宿区西新宿)代表取締役・濱谷雅之氏と弊社代表取締役・川崎真弘が、約15年ぶりに再会を果たした。思い起こせば最初の出会いは30年前。中小の旅行業者が群雄割拠していた1980~1990年代前半。大手旅行会社が"ブイブイ"と幅を利かせていた旅行業界において二人はともに力を合わせ、斬新な商品企画を打ち出すなどして新風を吹き込み続けた。それから時は経ち、二人は別々の道を歩みはじめたことで会う機会は失われていく。そんな濱谷氏と川崎が久々に顔を合わせることに。話し始めた途端15年という長い歳月は一瞬にして縮まった。その昔、何もなくてもしょっちゅう居酒屋で語り合った時のように話は途切れることなく展開し、旅行業界に足を踏み入れたきっかけ、共に力を合わせて働いていた頃の思い出、そして今後の旅行業界の行方など話題は多岐に及ぶ。これまでお互いあまり表舞台に出ることをしなかった濱谷氏と川崎の対談の模様をここに紹介したい。これから旅行業界を目指そうとする若者たち必読!です。
【プロフィール】
濱谷雅之氏
1955年 北海道生まれ
大自然に囲まれたニセコで気象や伝書鳩に興味を抱く野生児のような少年時代を過ごす。若さゆえの破天荒な人生放浪を経て早稲田大学入学。在学中にアルバイト代の札束を握り締め人生初の海外旅行でインドへ旅立つ。羽田発日本航空マニラ、バンコク経由便でボンベイ(ムンバイ)へ。帰国直前のデリー空港で、不運にも財布からパスポートなどすべての貴重品を盗まれるが、その事件が起きていなければ後に入社する会社との出会いはなかった。
混沌(カオス)とした国を好むが最近は静謐な空間に憧れる。
1981年 (株)マップ・インターナショナル入社。後に取締役、分社化した(株)アクロス・トラベラーズ・ビューロー代表取締役などを歴任
2001年 (株)旅人舎設立。代表取締役就任
※ここ最近はキューバに入れ込み、現地事務所を設立。
株式会社 旅人舎
東京都知事登録旅行業第3-5116号
加入旅行業協会: (社)日本旅行業協会正会員
設 立:2001年12月17日
資本金:70,000,000円
代表者:濱谷雅之
所在地:〒160-0023 東京都新宿区西新宿1-3-3 品川ステーションビル新宿6F
電話番号:03-5325-6261(代表)
ホームページ: http://www.ryojinsha.com/
川崎真弘
1954年 京都市下京区生まれ
1973年 立命館大学入学
1975年 沖縄より船で香港へ。その後、東南アジア周遊(生まれて初めての海外旅行)
1978年 京都府職員に採用される
1979年 旅行クラブ「TIC」のお手伝いに参加(TIC は、後に(株)マップ・インターナショナルに発展)
1981年 (株)マップ・インターナショナル設立に参画し取締役に就任。以降、分社化した(株)マップ・ツアーの代表取締役などを歴任
1995年 (株)ファイブ・スター・クラブ設立。代表取締役就任
※現在までに、世界178ヶ国の国と地域を訪問。どの国も好きだが、中でもアフリカ、中近東、ヨーロッパ全域とインド周辺、南米が得意分野。
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第25回 「これからが正念場!ふるさと福島の復興に向けて」 シーアイエー(株)代表取締役・横山光衛さん<後編>

横山社長の勇姿(2011年8月8日)
『旅するチカラ』初の2ヶ月に渡る前後編企画の後編です。前編から引き続く釣りのお話。そして、現在、最も力を注いでいる趣味のバンド活動。さらに、福島原発事故にかかわる、ふるさと福島の復興への取り組み・・・。いろんなお話をしていただきました。
※このインタビューは2011年9月3日、福島県伊達市梁川町にあるシーアイエー(株)のオフィスで行われました。
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第24回 "言いわけすんな!"を社訓に仕事も遊びもいつも全力投球!!シーアイエー株式会社代表取締役・横山光衛さん<前編>

『旅するチカラ』始まって以来の2ヶ月連続掲載!その前編をお届けします!!
いつもサングラスに葉巻というスタイルの横山光衛さん。一見"恐い人か"と思ってしまうが実はれっきとした福島県の印刷デザイン会社の社長である。その会社の名前も「CIA(シーアイエー)」というから、なかなか洒落もきいている。しかも社員には「仕事も遊びも徹底してやれ!」と言うだけあって、ご本人の"遊びっぷり"も相当なもの。これまで手を出した趣味は「釣り」「麻雀」「バイク」「射撃」などなど。とくに「釣り」に関しては日本でもフライフィッシングの草分け的な存在で、まだフライフィッシングなどというものが日本で知られる前から毛針などを自作して近所の川でキャスティングしていたそうだ。1970年代後半以降、日本人が足を踏み入れることがほとんどなかったアラスカに何度も出かけキングサーモン釣りに興じていたというから恐れ入る。
今回はそんな横山さんに会社設立のいきさつ、アラスカでのエピソード、海外での活動、そして福島原発事故についてなどなど様々なお話をうかがった。
<プロフィール>
1950年 福島県伊達市梁川町に生まれる。二松学舎大学を卒業後、プロの麻雀師に。
1985年 父が経営していた「よこやま印刷所」に「シーアイエー」を企業内企業として発足させる。後に同印刷所を吸収合併。
1994年 シーアイエーコーポレーションを設立。
1997年 有志でNPO法人「ミンガラ奨学金」を立ち上げミャンマーの子供たちを支援。
「楽しむときはとことん楽しむ」をモットーに、これまでにやってきた趣味は「釣り」「麻雀」「バイク」「射撃」「葉巻」「料理」「ボート」、そして「バンド活動」など。
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第23回 歌『ああ宮城県』のヒット!中国・貴州省に魅せられ親善大使に任命!"宮城の団十郎"こと吉川団十郎さん

現在、陶芸家として活躍されている吉川団十郎さん。21年前、中国旅行に誘われたものの、行き先が中国の「貴州」と言われた時にはがっかりしてしまったそうだ。断りきれずにやむなく行くことになった中国は、吉川さんにとってたいして面白味も感じられず、行く先々で「旅費の無駄使いだ」と心の中でグチってばかりいた。ところが、旅の最終目的地である貴州の風景を目にした途端、思わず涙があふれ出てきてしまったという。以来、貴州に魅せられ貴州を訪れた回数は、なんと16回。貴州の何がそこまで吉川さんを虜にしてしまったのだろうか? 今回は『貴州旅情』という本や楽曲も発表されている"宮城の団十郎"こと、吉川団十郎さんに貴州の魅力について語ってもらった。
<プロフィール>
本名 吉川 昇 (きっかわ のぼる)
1948年 宮城県名取市に生まれる
1974年 ヤマハポピュラーソングコンテスト
● 東北グランプリ大会にてグランプリ 「キューピーちゃん」
● 全国大会にて入賞・川上賞・キャニオンレコード賞
19 75年 同コンテスト
● 東北グランプリ大会にて入賞 「ママのお誕生日」
● 全国大会にて川上賞
● 世界歌謡祭へ出場(日本代表)
19 76年 4月 芸能界へ入る(28歳・ヤマハプロダクション)
ヒット曲「ああ宮城県」 LPレコード「陽陰者」「田舎者」
1977年 3月 芸能界引退、宮城県に戻る
1981年 陶芸活動を開始 (宮城県柴田郡村田町)
1990年 中国貴州省少数民族の村々を訪問し作曲や本を書き始める
1992年 宮城県地域づくり大賞受賞 (新・伊達なクニづくりスピリット部門)
1996年 宮城県緑化功労賞
同年 村田町自治功労者として表彰を受ける
2003年 8月 中国貴州省旅游(観光)局より親善大使に任命される
同月 中国貴州省「貞豊県名誉県民」授与
2008年 還暦記念・日本全国作曲の旅をスタートする
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第22回 ミシュラン3ツ星日本料亭料理長がだしの取り方を伝授! 大阪千里山『柏屋』店主兼料理長 松尾英明さん

速報!『柏屋』にもう一つの栄誉!
2011年11月、世界的権威を誇るホテルとレストランの会員組織「ルレ・エ・シャトー」に加盟しました!
ルレ・エ・シャトー公式ホームページ<ワールドワイド版>
※(注意)2012年1月31日現在ルレ・エ・シャトー日本版ホームページの更新はまだ行われていないようです。
松尾さんは、大学在学中、理学部で理論物理学を学んでいた。卒業後、料理人になることを志し180度違うと言っても言い過ぎではない料理の世界に飛び込んだ。いったい、松尾さんに何があったのか!?
松尾さんは、家業が日本料理店であったことから、いつしか料理に対する興味は高まり、大学在学中より何度となく友人たちに得意料理をふるまっていたそうだ。そして、そんな中、松尾さん自身、"運命的な出会い"であったと表現する茶道との出会いで松尾さんの進むべき道は決まる。
「女性の花嫁修業のひとつだと思っていた茶道が、実は、美術工芸をはじめとする日本文化全体に有機的に結びついていることを学び衝撃を覚えた」
とその時をふり返る松尾さん。さらに、松尾さんはこう語る。
「伝統を守るということは、実はすべて意味のある作業なんです。でも、それは特別なことではなく、普通のことを普通にできるようにすること。新しい技術によっていろいろ変ってゆくことは認めますが、それぞれの本質をずっと大切にしていきたい」
料亭は個室でのもてなしが基本。料理人が客と触れ合う機会は少ない。けれど回を重ねる度にゆっくりでも少しずつ分かり合っていけばいい。季節や自然、部屋の佇まいと器。すべてが一体となって客を心地よい世界に誘(いざな)う。そんな世界に真心のこもった料理を提供する。それが、『柏屋』なのである。
このような料理に対する姿勢が多くのお客様から支持を受ける松尾さんは、海外からも含めた様々なメディアにも対応し、忙しい日々を過ごしている。
今回は、3ツ星日本料亭の店主であり料理長の松尾さんに料理のお話はもちろん、客をもてなす極意。そして、本格日本料亭の味を家庭でも簡単に出せるだしの取り方を特別にこっそり伝授していただいた。
<プロフィール>
大阪府高槻市出身。関西学院大学理学部(現在は理工学部)を卒業後、明治元年創業、日本料理・懐石料理の老舗、『招福楼本店』(滋賀県東近江市)にて3年間料理の修行。日本料理店を経営していた父親の元に戻り、その後料理長となる。
現在は、店主として父親から経営を引き継ぎ、『柏屋』の料理長も務める。料理人として後進の指導、海外の日本料理店で料理や接客の技術指導、また、若き料理人たちと協力し合い料理の素晴らしさを伝え続けると共に、地域の活性化にも貢献している。

数寄屋造りの料亭『柏屋』
平成5年に既存の店舗を取り壊し全面新築
『千里山 柏屋』
<TEL>06-6386-2234
<E-Mail> kashiwaya.kasuian@hera.eonet.ne.jp
<住所>〒565-0851 大阪府吹田市千里山西2-5-18
<アクセス>
阪急北千里線千里山駅 西口 車5分
阪急北千里線関大前駅 北西口 徒歩10分
地下鉄御堂筋線緑地公園駅 東口 徒歩15分
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第21回 アメリカに憧れロスに出店経験もある神田神保町・炭火焼『名舌亭』オーナー 金子学さん

出店の下見で何度もロスを訪れた
東京は神田神保町に飲食店『名舌亭』はある。このお店を営んでいらっしゃるのが金子学さんだ。金子さんは1980年代の終わりからにアメリカに進出、オレンジ・カウンティのラグナヒルズという場所で当時アメリカでは珍しかった焼鳥店を出店された。数年間を単身アメリカで生活することになった金子さんが見たアメリカの風景は、どのようなものだったのだろうか。今回は金子さんにアメリカの思い出を語ってもらうとともに、実際に遭遇されたロス暴動のことについても触れてもらった。
<プロフィール>
1949年(昭和24年) 東京都江戸川区に生まれる
1969年(昭和44年) 20歳の時、神田神保町の割烹料理『花家』を営んでいた母親を手伝う。
1980年(昭和55年) 母親の他界のため、神田神保町の現在の場所に飲食店『名舌亭』をオープン。
1989年(平成元年) アメリカに進出、母親の名前にちなんで、レストラン「HANA」
をオープン。同店を閉店後、現在に至る。
『炭火焼 名舌亭』(すみびやき めいたんてい)
<TEL>03-3291-2949
<E-Mail> kandameitantei@yahoo.co.jp
<住所>〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-34
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第20回記念号 ラグビーワールドカップ2011開幕間近! ニュージーランド在住"永遠のラガーマン"岸本泰さん

日本のラグビーファンも絶対に見逃すことのできない、『ラグビーワールドカップ2011』が、いよいよ、再来月の9月9日から約2ヶ月間に渡り、ラグビー大国・ニュージーランドで熱戦が繰り広げられます。まだ記憶に新しい、今年2月22日、ニュージーランド南島のクライストチャーチを襲った大地震の影響で、一時、開催が危ぶまれましたが、ニュージーランド政府はじめ、ニュージーランドラグビー協会、そして、何よりもラグビー命のニュージーランド国民がひとつとなって後押しし、無事、開催できる運びとなりました。今や、ニュージーランド各地はラグビーワールドカップ一色に染まっています。ただ、残念なことに、今尚、大地震の傷跡が癒えないクライストチャーチでの試合はやむなく他の都市で開催されることになってしまいました。でも、今度は、ラグビーワールドカップの盛り上がりが、クライストチャーチ復興支援の大きなチカラになってくれることでしょう。
『がんばれ!ニュージーランド!!』
『がんばれ!ALL BLACKS!!』
そして、『がんばれ!ニッポン!!』
今回は、かつての美しいクライストチャーチの街並みが1日も早く蘇ってくれることを願って止まない一人、ニュージーランド北島・オークランド在住の、"ニュージーランドラグビー界初の日本人監督"、"永遠のラガーマン"岸本泰さんにラグビーへの情熱、ニュージーランドでの暮らしぶりについてお話をしていただきました。
【プロフィール】
愛知県岡崎市出身
1998年 3月 ニュージーランドの大学で留学スタート
2001年11月 現地大学を優秀な成績(!?)で卒業し、その後、日本に戻り1年間日本企業に就職
2002年11月 オークランドに移住。日系広告代理店、現地大手バス会社、大手フェリー会社でキャリアアップ
2010年 6月 大阪の某有名社会人ラグビーチームに外国人プレイヤーたちの通訳として1年帯同
2011年 5月 再びNZに戻る。貿易会社"Sweet as Imports Limited"を起ち上げ、あらたな世界で更なる飛躍を図る
※ラグビーは、ニュージーランドでプレイヤーとして11シーズンを過ごし、ポジションはフッカー。
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第19回 三線背負って世界一周の旅!!北海道生まれの沖縄民謡歌手・堀内加奈子さん

沖縄桜坂劇場にて<撮影:仙波 麻衣子さん>
【旅するチカラ 沖縄シリーズ第二弾】
独特の音階と三線(サンシン)の音色が聴く者の心を癒してくれる沖縄民謡。そんな沖縄民謡に魅せられ、東京での仕事を捨ててこの世界に飛び込んだ女性がいる。現在、若手の沖縄民謡の歌手として活躍されている堀内加奈子さんだ。彼女は沖縄民謡を唄うだけにとどまるのではなく、スカのバンドとコラボレートしてJ-POPのカヴァーアルバムも発表するなど新しい分野へも挑戦している。また2009年10月からは半年間かけ、三線をかかえて沖縄民謡を紹介する世界一周の旅を敢行した。今回はそんな堀内さんに沖縄民謡を唄うようになったきっかけをうかがうとともに、海外の旅でのエピソードなども語ってもらった。
<プロフィール>
北海道・函館生まれ
東京でCM関連の仕事中に沖縄民謡に出会う。その唄と三線に惹かれ沖縄へ移住。大城美佐子師匠に付き修行(現在11年目)。
民謡酒場「島思い(しまうむい)」などで経験を積み重ね、その後、沖縄県内外はもとより海外でも公演活動。
2002年10月、師匠大城美佐子とともにパリ公演。その模様はBS・NHK高峰剛監督によって作られドキュメンタリー形式で放送された。
2007年、琉球音楽協会教師免許取得。
2008年、細野晴臣トリビュートアルバムにお囃子として参加。
2009年、リスペクトレコードより発売されたSKA LOVERSのスカと沖縄民謡を融合させたJ-POPカヴァーアルバム『LOVERS SKA 〜Song For You〜』に、沖縄のコブシを入れたメインボーカルとして参加。
2009年10月から、一人、三線(サンシン)を背負い沖縄民謡を紹介する世界一周旅行をスタート。訪れた国はフランス(パリ)、イギリス(ロンドン)、セネガル、ブラジルなど10カ国以上。
2010年3月、三線を背負った世界一周旅行から帰国。
2010年9月、2枚目のアルバム発売。
2011年6月20日、WOWOWのドキュメンタリー番組・ノンフィクションW『「情」の世界は滅びない ~未来に流れる琉球民謡~』放映。
2011年9月21日、師匠大城美佐子と初の沖縄民謡のアルバムCDを発売する。
2011年11月6日、CDリリースライブを「東京青山CAY」にて行う予定。
2011年11月18日、CDリリースライブを「沖縄桜坂劇場」にて行う予定。
堀内さんの情報満載!!
堀内加奈子さんのファンブログ『アイ加奈思い』を是非ご覧下さい!!
http://aikanaumui.ti-da.net/
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第18回 タブーなき闘い-『噂の眞相』の元編集長であり発行人の 岡留安則さん

【ご自身が経営される『酒処 瓦家別館』(那覇市前島)にて】
1979年の創刊から2004年に休刊するまで「タブーなき雑誌」として数々のスクープを世に放ってきた雑誌が『噂の眞相』だ。政財界はもとより芸能・風俗にいたるまでスキャンダルとあれば、たとえ大物と言われる人物であろうとも容赦なく『噂の眞相』というマナ板の上にのせる。その編集姿勢は多くの読者を獲得し、ユニークな雑誌名を広く知らしめることとなっていった。そんな「タブーなき雑誌」の編集長をされていたのが岡留安則さんだ。岡留さんは『噂の眞相』の休刊後、沖縄県を生活の場とされている。「旅するチカラ」ではマスコミ界で知らないものはいないと言われる、その元名物編集長・岡留安則さんに接する機会を得て、あの『噂の眞相』の"真相"に迫るとともに、沖縄での生活や旅についても話をうかがった。
<プロフィール>
1947年、鹿児島県生まれ。
1970年、法政大学社会学部を卒業。
1975年、『マスコミ評論』を創刊し、編集長に。
1979年3月、『噂の眞相』を編集発行人として起ち上げる。
1980年、皇室ポルノ事件で『噂の眞相』廃刊の危機に直面。
2004年4月、数々のスクープを世間に提供してきた『噂の眞相』、黒字休刊。
主な著書として『武器としてのスキャンダル』、『サングラスの中の女たち』、『「噂の眞相」25年戦記』、『「噂の眞相」イズム 反権力スキャンダリズムの思想と行動』、『編集長を出せ!「噂の眞相」クレーム対応の舞台裏』、『幻視行日記 東京新宿「噂の眞相」編集部発沖縄行』など多数。 日本ペンクラブ会員。
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第17回 神田生まれの神田育ち!地域振興にもチカラを注ぐ!!『スポーツショップ V3 Kadoya』角谷幹夫さん

『スポーツショップ V3 Kadoya』(神田小川町)にて
東京の神田小川町(かんだおがわまち)界隈は、大小のスポーツ店がたくさん集まっているエリアだ。 その数あるスポーツ店の中でも、早くからスケートやスキーといったウィンタースポーツ用品を扱ってきたのが『スポーツショップ V3 Kadoya』。 現在、その店のオーナーが角谷幹夫さんであり、神田にあるスポーツ店が集まって組織されている「神田スポーツ店連絡協議会」の会長も務められている。 そんな角谷さんは、ウィンタースポーツ商品をメインとするお店のオーナーだけに、海外のスキーメーカーの施設見学に出かけられるとともに有名な人気スキーリゾート地で実際にスキーで滑られている。 また、プライベートの旅では南の島でマリンスポーツも!!
そこで今回は、角谷さんの旅のエピソードをうかがうとともに「神田スポーツ店連絡協議会」での活動内容などを紹介してもらった。
<プロフィール>
1959年 神田に生まれ、千代田区立小川小学校卒
1971年 明治大学付属明治中学校入学
1977年 明治大学付属明治高校卒
在学中はスキー部に所属
卒業後、家業のスポーツ店『スポーツショップ V3 Kadoya』に勤務
1989年 『スポーツショップ V3 Kadoya』代表取締役に就任
現在は、神田スポーツ店連絡協議会会長として地域振興にも貢献。
また、地元商店会や町会の役員も務める。
※3月11日の東日本大地震の震災の影響で掲載準備が遅れましたことをこの場をお借りしてお詫び申し上げます。
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第16回 人との出会いと感動を求めて!!"彷徨う永遠のバックパッカー" 守安克紀さん

(エクアドルで地元の女性達とオーストリア人旅行者)
これまでに訪れた国は80カ国以上。そのほとんどがバックパッカーの一人旅だというのが守安克紀さんだ。帽子製造の仕事のかたわら、時間ができればぶらりと旅に出かけるほどの旅好き。事前に宿をチェックすることもない。現地に行ってそこで宿を探す。そして出会った人たちと自然なかたちで触れ合う。それが守安さん流の旅。そんなバックパッカーの旅をずっと続けていきたいという守安さんに、バックパックの旅の魅力、旅先での思い出などを伺がってみた。
<プロフィール>
1967年2月11日(紀元節) 倉敷で生れる 名前を紀元節の「紀」を使い克紀とする
1985年 国士舘大学 工学部 機械工学科入学
1987年 同学 法学部 転部
1990年 同学 法学部 卒業
1990年 イトキン入社 ヒロココシノ企画室配属
1995年 実家(倉敷)の帽子製造会社・株式会社モリヤス入社
2004年 機内で出会った(成田→ロサンゼルス)ANAのCAと結婚
訪れた国:83ヶ国
可能な限りいつまでもバックパッカーを続けたい
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第15回 仙台白百合女子大学教授・作家 大本泉さん ~食文化を通して日本文学を拓く研究に挑む~

日本文学を専門とする大本泉さんだが、目の前にいる人は大学教授という少しお堅いイメージとは違って、旅行や食べることの大好きな普通の一人の女性である。そんな大本さんは、時には学生を引率して、時には研究学会の発表等で海外に出かける。しかし一番気持ちが解放されるのは、やはりプライベートでのぶらぶら旅だとか。そこで今回は大本さんの食べ歩きの旅やユニークな旅の思い出話をうかがってみた。

<プロフィール>
日本女子大学大学院博士課程終了。
現在、仙台白百合女子大学人間学部国際教養学科教授。
専門は、正宗白鳥文学を中心とした日本の近現代文学。最近は、とくに食文化を通して日本文学を拓く研究に挑んでいる。
日本ペンクラブ会員。同女性作家委員。
主な著書に『名作の食卓』(角川書店)、編著書に『日本語表現 演習と発展』(明治書院)、共著に『永井荷風 仮面と実像』(ぎょうせい)等多数。
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第14回 建築家・アーティスト 郡 裕美さん

お気に入りのレストラン「サバティーニ・イン・トラステヴェレ」にて。
お仕事のパートナーでもある旦那さまの遠藤さんと。
国際交流基金の助成でローマに講演会で招かれた時に。
「旅をすることは生活の一部」と話す建築家の郡裕美さんは、まるで隣町にふらりと遊びに行くように世界各地を飛び回っている。その目的は、世界各地で、建築やアート作品の製作・発表をしたり、大学で教えたり、講演会をおこなったりと様々だ。その中でも、近年、多くなっているのが、世界中に散らばっている廃墟や廃屋を訪ね、アート空間に変えるアートインスタレーションの仕事だ。そんな郡さんのアートは世界中で多くの人々の感動を呼び起こしている。郡さんにとってアートインスタレーションとはどのようなものなのだろうか。また旅の魅力とは。今回は、建築家でありアーティストとしても活躍する郡さんにお仕事の話から旅の思い出までを語ってもらった。
<郡裕美(こおり ゆみ)プロフィール>
1983年 京都府立大学 生活科学部 住居学科卒業
1994年 コロンビア大学 建築学科大学院 修士課程修了
1983~86年 一級建築士事務所(株)共同制作 勤務
1986年 MYU設計室を設立
1987~90年 アルテック建築研究所
1991年 一級建築士事務所(株)スタジオ宙 設立
1996~2004年 コロンビア大学 建築学科准教授(ニューヨーク)
1997年 パーソンズ・スクール・オブ・アート講師(ニューヨーク)
2002年 イエール大学 建築学科講師(米国)
2005~2008年 名古屋工業大学 工学研究科講師
2009年 東京理科大 建築学科講師
2010年 藤田保健衛生大学 医療を考えるセミナー講師
一級建築士事務所 スタジオ宙, studio MYU ホームページ
http://www.studio-myu.com/
郡裕美さん個人のアートページ
http://www.yumikori.com
※お時間がありましたら、ご感想など直接、郡裕美さんにお送りいただければ幸いです。
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第13回(旅するチカラ一周年記念号) デジタルコンテンツ分野の第一人者 土井宏文さん

かつて銀行員だった土井宏文さんは、1990年代中頃と早い時期からデジタルコンテンツ分野に着目し、これまでコンテンツビジネスに関わってこられた。今ではデジタルコンテンツにおける第一人者であり、コンテンツの著作権や特許権がらみのビジネスアドバイザーとして幅広く活躍されている。その活動フィールドは国内にとどまることなく、海外にも及んでいる。そのため「最近は仕事がらみで海外に行くことが多い」そうだ。そこで今回は、土井さんにコンテンツビジネスについて、そして旅について話をうかがってみた。
<プロフィール>
1953年 12月10日生まれ(長崎市出身)。
1978年 3月東京大学法学部卒業後、4月日本長期信用銀行入行。
1998年 (株)ジャパン・デジタル・コンテンツを設立。常務取締役に就任。12月日本長期信用銀行退職。
1999年 9月インターネットによる株式売買仲介のジェット証券(株)を元同僚らと設立、代表取締役社長に就任。
2000年 4月(株)ジャパン・デジタル・コンテンツ代表取締役社長に就任、12月同社東京証券取引所マザーズに上場。12月ジェット証券会長に就任。
2005年 信託会社の免許を取得し、日本初の知的財産権信託を実現するなどコンテンツ業界における資金調達スキーム構築の分野で常に先駆者的な役割を果たす。
2009年 6月ジャパン・デジタル・コンテンツ信託退任。
金沢工業大学大学院客員教授、日本知財学会理事他
<主な著書>
「コンテンツビジネス法務・財務~実務編~」著(九天社刊)、「コンテンツビジネスの資金調達スキーム」共著(九天社刊)、「知的財産」共著(東洋経済新報社刊)、別冊NBL「知的財産信託の活用法」共著(商事法務刊)など
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第12回 54歳でフリーカメラマンに転向! 写真家 菊池和子さん

ポルトガル料理レストラン「マヌエル四ツ谷」にて
現在、プロカメラマンとして活躍されている菊池和子さん。もとは小学校で教鞭をとられていたそうだ。32年間教師生活をされた後、「何か自己表現できるものを」と探し求めた末に出会ったのが写真だったという。教師を退職後、フリーランスのカメラマンとして活動される中、2002年12月からはポルトガルのリスボン市に生活拠点を移し6年間をポルトガルで過ごされることになる。そこで今回は、人生を変えた写真の話をお聞きするとともに、菊池さんを虜にしたポルトガルの魅力について語ってもらった。

時は静かに流れる
歴史をつなぐ、暮らしを紡ぐ、愛をこめて
ここでは、時間は人を追いかけない
そして、人も時間を追いかけない
~菊池和子写真集『PORTUGAL 藁色の日差しの中で』より~

<プロフィール>
1945年 中華人民共和国石門市(現・河北省石家荘)生まれ
1968年 東京学芸大学卒業 東京都公立小学校教論となる
1994年 現代写真研究所入所
2000年 東京都公立小学校教論退職 4月よりフリーランスとして活動開始
2002年 12月よりポルトガルリスボン市に在住
2008年 10月 夫の死亡によりポルトガルから引き揚げ
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第11回 羽田空港新国際線旅客ターミナル10・21オープン!!(株)ジャパンアシスタンス空港スタッフの皆さん

羽田空港新国際線旅客ターミナルが、いよいよ10月21日にオープンします。それに伴い、現行の国際線仮設ターミナルは閉鎖されます。また、羽田空港の4本目となる新滑走路(D滑走路)が共用を開始するほか、新ターミナル直結の新駅も開業します。東京モノレールは、新駅「羽田空港国際線ビル駅」を開業。京浜急行は、現在の羽田空港駅を「羽田空港国内線ターミナル駅」に改称、新たに「羽田空港国際線ターミナル駅」を新設します。東京モノレールの新駅は3階出発ロビーに直接アクセス。京浜急行の新駅は地下1階にあり、3階出発ロビー、2階到着ロビーにそれぞれ改札口が設置されます。

また、新滑走路が誕生することにより、1時間あたり31便だった従来の発着本数が、段階的に1時間40便へと増え、新旅客ターミナルのオープンに伴う新たな国際線定期便の就航により発着枠が格段に広がります。新たな国際線定期便は10月31日から就航となります。10月31日00時05分、サンフランシスコ行き日本航空002便、ロサンゼルス行き全日空1006便が同時に出発予定!!首都圏初の24時間空港・羽田空港誕生の瞬間です。
今回は、ますます重要度を増す羽田空港から出発されるお客様に元気と安心を提供するお仕事をしていらっしゃる「株式会社ジャパンアシスタンス」の空港スタッフの皆さんにお話を伺うと共に、羽田空港新国際線旅客ターミナルを案内していただきました。
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第10回 NPO法人「えがおつなげて」代表理事 曽根原久司さん

バブル経済の崩壊後、それまで金融コンサルタントの仕事をしていた曽根原久司さんは「これからは農業の時代がやって来る」と、金融とはまったく異なる農業の世界に飛び込んだ。そして2001年にはNPO法人「えがおつなげて」を立ち上げ、今日まで都市と農山村を結ぶさまざまな活動に力を注いでいる。そんな曽根原さんは、3年前にキルギス共和国に渡航し、生物群をエネルギー源として利用するバイオマスエネルギーのシンポジウムにも参加された。そこで今回は曽根原さんが代表を務める「えがおつなげて」の活動を紹介するとともに、キルギスで感じたことや旅の思い出などを語ってもらった。
<プロフィール>
曽根原久司(そねはら ひさし)さん
長野県出身、東京の大学を卒業後、フリーターを経て、経営コンサルタントの道へ。
銀行などの経営指導を通して日本の未来に危機を感じ、その救済モデルを創造すべく、1995年に東京から山梨の農山村地域へと移住。
2001年、農林業をしながら"村・人・時代づくり"をコンセプトに都市農村交流の実現を目指すNPO法人「えがおつなげて」を設立し、さまざまな活動を展開。
「第一回オーライ! ニッポン大賞ライフスタイル賞」受賞。
また、内閣府が選定する「地域活性化伝道師」235人中の1人にも選ばれる。
2010年、『世界の社会起業家を繋ぐSEOY(Social Entrepreneur of the Year)日本プログラム』のファイナリストに選ばれている。
<参考リンク>
※「えがおつなげて」ホームぺージはコチラをクリックしてください。
※『世界の社会起業家を繋ぐSEOY(Social Entrepreneur of the Year)日本プログラム』のファイナリストの詳細はコチラをクリックしてください。
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第9回 キプロスの古代遺跡『クリオン遺跡円形劇場』で東洋人初の俳優として舞台に立ち大絶賛を博した「神ひろし」さん

(左から二人目が神さん)
1996年、ギリシアにてギリシア悲劇『王女メディア』で主役を演じ、高い評価を受けたのがダンサーにして俳優の神<じん>ひろしさん。翌1997年にはキプロスの古代遺跡「クリオン遺跡円形劇場」で、東洋人初の俳優として舞台に立ち「王女メディア」を演じ大絶賛を受けた。それ以降もギリシア、キプロスをはじめ、イギリスのエジンバラ、フランスのアビニョン、ニューヨークなど世界各国で公演している。今回はそんな神さんに、海外公演時の裏話や出来事などを中心にお話をうかがった。
<神ひろしプロフィール>
兵庫県生まれ。関西学院大学卒。
ジェイムズ・ディーン、マリリン・モンロー、アルパチーノを輩出したニューヨークの名門アクターズ・スタジオの「メソード演技」を学ぶ。劇団四季出身。
スピリチュアル・ミュージカルの『転生』や手塚治虫のマンガ『どろろ』のミュージカル化で「百鬼丸」と「手塚治虫」の二役を演じる。
ジャンルを超えたダンス界のカリスマとして注目を集める。
1996年 舞踊演出家かわらさきけんじ氏と、演劇制作・プロデューサーの妹尾芳文氏と「カンパニーEAST」を結成。
同年 ギリシアでギリシア悲劇『王女メディア』を公演。絶賛を博す。
(芸術監督:かわらさきけんじ/メディア:神ひろし/イアソン:東野将)
1997年 キプロスの古代遺跡『クリオン遺跡円形劇場』で東洋人初の俳優として『王女メディア』を主演。拍手喝采を浴びる。またラルナカ市のフェスティバルのアンケート調査で1位に選ばれる。
2001年 エジンバラ(イギリス)公演。
神ひろしの『王女メディア』が、スコットランド最大の新聞 Scotsman(スコッツマン)で5つ星の評価を獲得。また、イギリス最大の新聞The Guardian(ガーディアン)でも4つ星を獲得。
2001年 アビニョン(フランス)とエジンバラ(イギリス)にて『王女メディア』と『金閣寺』公演。(芸術監督:かわらさきけんじ/溝口&三島由紀夫:神ひろし)
2003年 モントリオール(カナダ)で『王女メディア』とJ-BOYSを公演。J-BOYSがカナダの新聞『ミラー』の表紙に選ばれる。
同年、エジンバラ(イギリス)にて『マクベス』公演。
2004年 アビニョン(フランス)とエジンバラ(イギリス)にて『サロメ』主演。
2007年 ギリシャ悲劇「王女メディア」主演。ニューヨークタイムズ (The New York Times) に紹介される。
2009年 1月〜2月にニューヨークの名門ラ・ママのアネックス劇場で「ハムレット」(カンパニーEAST)主演。「BACKSTAGE(バックステージ)」(アメリカの歴史と伝統有る芸能オーディション情報新聞)・「NY THEATRE」・「New York Cool」などに紹介される。
<神ひろしon Social Medea>
★神ひろしツイッター(Twitter) http://twitter.com/dancerhiro
★神ひろしアメーバーなう http://twitter.com/dancerhiro
★神ひろしMixi http://bit.ly/blOj6E
★神ひろしFacebook http://www.facebook.com/dancerhiro
★神ひろしライブ情報携帯サイト http://katy.jp/hirojin/
★神ひろしYouTube
PC用 http://bit.ly/bVZyo1
携帯用 http://bit.ly/bR7yDH
★神ひろしUST・ユーストリーム http://bit.ly/dnGWOW
※いつでも遠慮なくお気軽に"ツイート" するなど神さんにアクセスしてみてください。
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第8回 「PLAYBOY日本版」元編集長 鬼木真人さん

(中央の女性がその年の"プレイメイト・オブ・ザ・イヤー")
1975年の創刊以降、日本の男性雑誌を常に牽引してきたのが「PLAYBOY日本版」である。海外取材記事あり、著名作家による体験記事あり。それまでの男性誌にはまったく見られなかった斬新な企画で多くの読者を魅了してきた。そんな「PLAYBOY日本版」に創刊から編集者として携わり、後に約6年間編集長を務められたのが鬼木真人さんだ。今回は「インタビューすることはあっても、インタビューされることはない」という編集者・鬼木真人さんに、これまでの旅の思い出、これからの旅の夢をうかがってみた。
<プロフィール>
1949年8月10日 熊本県熊本市に生まれる。
1974年3月31日 東京都立大学人文学部英文学科卒業
1974年4月1日 (株)集英社入社 新人研修を経て、PLAYBOY日本版創刊準備室に配属され、創刊後もそのまま編集員として日本や世界を飛び回る
1975年5月25日 PLAYBOY日本版創刊
1982年 PLAYBOY日本版 創刊5周年記念企画として誕生した『全東洋街道』<著・写真:藤原新也>が第23回毎日芸術賞を受賞
1982年3月 週刊プレイボーイ編集
ニュース班のデスクに任命され様々なニュースにかかわった
鬼木真人の「重大ニュース!!」
★日本航空ジャンボ機の御巣鷹山への墜落事件(1985年)や、オウム真理教の事件(1995年)が強烈な印象として残っている
★1990年10月にベルリンの壁が崩壊 2ヵ月後の12月にベルリンに飛んだ。クリスマス・イブにレナード・バーンスタイン指揮のベルリン・フィルハーモニーが演奏するベートーベンの第九交響曲がベルリンの街に流れる中、東西の市民が壁を踏み越えて抱き合うシーンが、今も忘れられない感動として胸によみがえる・・・
1984年 ブラジル生まれの日系二世の奥様と結ばれる
1991年7月 Bart編集
1991年11月 Bart編集 副編集長
1995年3月 週刊プレイボーイ編集 副編集長
1996年2月 PLAYBOY日本版編集 編集長
2002年3月 第10編集部 部次長(兼)生活文化編集長
2004年9月 新書編集部 部長代理(兼)新書編集長
2006年7月 第5編集部 部長
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第7回 フランス・パリの名門料理学校『ル・コルドンブルー』を優秀な成績で卒業・柳原まゆみさん

食べることと旅が好き!(ほとんどの人は好きですよねー)
私の若い頃、母は「この娘は給料全部食べちゃう・・・。おしゃれもせずに・・・。」と嘆いたものです。母とひとつ上の姉はどちらかというと着道楽で、姉は給料日には必ず何かしら洋服や装飾品を買ってきたものです。昔からそういうものに全く興味が無かった私は、花より団子に走りました。
旅に関しては、20歳から始まった世界放浪癖が現在渡航暦64回、46カ国、海外滞在日数合計1577日にもなりました。そのために使ったお金を計算すると結構立派なマンションが買えている・・・という恐ろしい結果に目を瞑(つぶ)りつつ、今尚、「食べる旅」に出かけています。 "おいしいものを見つける喜び" と "旅の楽しさ" を誰かに伝えたくて 『Madame Y』 のサロンを開店しました。
~柳原さんが開設するホームページ『Madam "y"』の"はじめまして"から~
<プロフィール> ※柳原さんからのコメント付き
"マダム・イグレック"こと柳原まゆみさん
1958年岐阜県に誕生
母が家業を手伝っていたためお手伝いさんがいたが、お手伝いさんの料理が気に入らず、自分で作ったりしていた。(小学生が生意気でしたねーby柳原)
日本女子大学食物科卒業と同時に栄養士の資格取得
(親に与えられた食べ物以外に、世の中にこんなおいしいものがあったのだーと感じた大学時代でしたby柳原)
1985年 ブリュッセルにてフランス家庭料理とおもてなし法を学ぶ
1988年 パリの料理学校ル・コルドンブルーに入学。料理上級ディプロームで"モーションビアン"をもらう。(頑張った!!by柳原) その後、ミシュランの一つ星レストラン「ルレ・ド・セーブル」のローラン・デュラン氏(1989年MOF:フランス最高職人賞)の下で修行。(当時MOF最年少受賞のハンサムなシェフでした。みんなスタージュ"給料なしの見習い"というとつらい経験のように聞こえますが、私は楽しくてしょうがなかったです。スタージュ中に太ったのは仲間内で私だけ・・・by柳原)
1990~97年 帰国後、旅行会社に勤務。仕事柄世界中を食べ歩く
1992年 フランス料理、家庭料理のサロン『Madame Y』を開く
1999年 結婚し、二足のわらじをやめ、料理教室に専念。同時に食べ歩きに拍車がかかる。(旦那様ありがとう!! 料理教室の稼ぎ分全部食べちゃってる・・・。でも勉強だからねっ。by柳原)
2006年 夫の転勤でハワイに移住。ハワイで料理教室をはじめる
2009年 夫の転勤のため帰国。東京にて料理教室再開
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第6回 ~音楽とお酒とスペインと~ スペイン音楽家・濱口典子さん

ピアニストである濱口典子(はまぐちみちこ)さんの活動フィールドは国内にとどまらず海外にも広がっています。2005年からは年2回(2月と8月)、スペインに出かけ貪欲にスペイン音楽について学ばれています。スペインへの音楽留学も今年で5年目に入った濱口さん。彼女にとってスペイン音楽とはどのようなものなのか。何が彼女をスペインへと向かわせたのか。今回は、濱口さんが憧憬してやまないスペイン音楽と現地での楽しき日々を中心に、海外の旅の思い出や今後の予定などについてお話を伺いました。
<プロフィール>
武蔵野音楽大学を経て同大学院 (ピアノ) 修了。国立音楽大学音楽研究所演奏史演奏部門イタリアバロック通奏低音コース(チェンバロ)修了。
2000年ピアノソロリサイタルデビュー、(財)日伊協会の奨学生としてイタリア研修
2001年第3回万里の長城杯国際音楽コンクールアンサンブル部門第1位、ピアノデュオリサイタル
2002年第4回21世紀ピアノコンクールピアノデュオ部門最高位、第13回下八川賞受賞(高知県)
2005年より毎年渡西し、アントニオ・イグレシアス 、マヌエル・カラ、ブランカ・ウリベ、フリオ・アレクシス・ムニョスの各氏のもとでスペイン音楽の研鑽を積んでいる。
スペインで最も古い歴史を持つスペイン音楽国際講習会およびコンファレンス'Música en Compostela'にスペイン文化省などの奨学金を得て参加し、アンドレス・セゴビア-ホセ・ルイス・モラーレス賞を受けるとともに、カトリック両王パラドール王立礼拝堂での演奏会にて毎年演奏し、その解釈と表現力に高い評価を得た。
また'El Correo Gallego'紙に「スペインに恋する日本人ピアニスト」として紹介された。
記事1(2008/08/26)
2008年にはアンダルシア州コルドバ県モンティージャ市より葡萄収穫祭週間に招待されピアノリサイタルを行い、好評を得る。
記事2(2008/09/02)
記事3(2008/09/03)
また、アンサンブルピアニストとして、声楽、オペラ、器楽などのリサイタルで数多く共演。
ピアノを大野美寿鈴、平野邦夫、ジャン・ポール・セヴィア(仏)、アンリエット・ピュイグ=ロジェ(仏)、カルラ・ジュディチ(伊)、セルジョ・ペルティカローリ(伊)、コンスタンティン・ガネフ(ブルガリア)、ヤン・ホラーク(チェコ)の各氏、チェンバロをホラーク井上道子、有田千代子、岩淵恵美子の各氏、フラメンコ音楽をエンリケ坂井氏のもとで研鑽を積む。
現在、昭和音楽大学および同短期大学部講師、ヤマハ千葉センター講師、二期会スペイン音楽研究会ピアニスト。(財)日本スペイン協会、日西経済友好会会員。
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第4回 海外プラント建設 "必殺仕事人" 中山隆之さん

発展途上国でエネルギー・石油化学・化学プラント建設プロジェクトに携わる中山隆之さん。『勤続15年のうち80%が海外長期勤務』の実績は同期入社中でもナンバー1の海外勤務率。そのため、日本でマイホームを購入したものの、実際に住んだ期間はたった数ヶ月とか。そんな、世界を股にかけ活躍するスーパー・グローバル・ビジネスマンの中山さんが文化も習慣も違う海外の現場で目にしたもの、体験したもの、肌で感じたこととはどのようなことなのか。また、海外勤務を楽しむコツや言葉の壁をぶち抜く(?)方法とは!?
今回は、ギターを抱え発展途上国の現場に乗り込む中山さんならではの、楽しいエピソードを披露してもらいました。
<プロフィール>
■中山隆之さん
(株)東洋エンジニアリング
海外事業本部シニア・エンジニア
(海外プラント建設工事管理 兼 現地飲み会幹事担当)
1971年東京台東区生まれ、下町育ちのいわゆる"神輿バカ"。高校では三味線部と座禅部に所属。千葉大学工学部機械科卒業。卒論のテーマ「宇宙ロボット制御の研究」で宇宙旅行を夢見る。
大学時代は、日本の辺境の地を70Lのザックを背負ってテント持参のキャンプ旅行に明け暮れる。"就職"という現実逃避の西表島放浪の旅から帰京後、部屋の片隅に積まれていた「就職情報誌」の山からエンジニアリング業界を知り興味を持つ。大学卒業後「東洋エンジニアリング」入社。配属部署が決まって2ヵ月後にはマレーシアに1年間の長期出張。以来今日まで、カタール、イラン、インド、中国の上海、常熱、張家港、そして現在の南京にて合計9つの海外プラント建設現場に携わる。中には15,000人の労働者を動員した1,000億円規模の大型案件も含む。
また、趣味のギターの腕前もかなりのもの。世界各地でギターをつま弾く。
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第3回 プロアイアンマン堀陽子さん&堀直之さんご夫妻

現在、日本は空前のマラソンブーム。2008年北京オリンピックの女子トライアスロンでは井出樹里さんが日本人選手過去最高の5位入賞という快挙を収めた。マラソン同様、トライアスロンブームが起きる!?・・・と断言する、堀陽子さん&堀直之さんのトライアスリートご夫婦。陽子さんは、子供の頃から運動が大好き。大学の卒業旅行で初めて走ったホノルルマラソンでいきなり3時間少しの好タイムで完走。数々のレースでの栄冠。順調な競技生活を送られていたと思いきや・・・。
トライアスロンに傾ける情熱と努力。今日も明日もがんばる元気はどこから湧いてくるのか。
今回は、ニュージーランド・オークランドにある、堀さんご夫妻のご自宅を訪ね、夏の木漏れ日が降り注ぐ屋外の広いデッキで終始リラックスした雰囲気の中、さまざまなお話を伺いました。
<プロフィール>
■堀陽子さん
1968年東京都で生まれる。「運動することが大好き」で始めた陸上競技が「自分の可能性を信じて世界のトップを目指す」という強い思いに変化。トライアスロンの中でも過酷な競技・アイアンマンレースの"ワールドカップ"とされるアイアンマン憧れの大会『アイアンマン・ハワイ』(ハワイ島コナで開催)の上位入賞を今尚目指し続ける。(現在は一時休業中)
〔主な戦績〕
1993年~1996年ジャパンスーパーデュアスロンシリーズチャンピオンシップ4連覇
1999年~2000年皆生トライアスロン2連覇
2001年アイアンマン・ニュージーランド5位
2002年皆生トライアスロン優勝
2003年アイアンマン・オーストラリア4位、アイアンマン・ハワイ21位
2004年アイアンマン・ジャパン優勝、アイアンマン・ハワイ18位
2005年アイアンマン・ウィスコンシン(アメリカ)6位
2006年アイアンマン・ニュージーランド4位、皆生トライアスロン優勝
2007年アイアンマン・マレーシア3位
□堀直之さん
1970年神奈川県で生まれる。大学時代のトライアスロン同好会で選手として始動。妻である陽子さんも所属した茅ヶ崎のトラアスロンクラブの先輩でもある。1991年、陽子さんと行ったアメリカ・コロラド州での高地トレーニングが結婚への第一歩となる。2006年、競技歴18年目にしてかねてからの目標だった『アイアンマン・ハワイ』への実力での出場を果たす。陽子さんとの二人三脚でお互いを支え合い、刺激し合いトライアスリートとして進化し続ける。
〔主な戦績〕
2003年タウポ・ハーフアイアンマン(ニュージーランド)17位
2004年アイアンマン・ジャパン36位
2005年アイアンマン・ウィスコンシン(アメリカ)で翌年のアイアンマン・ハワイへの出場権獲得
2006年アイアンマン・ハワイ269位
2007年、お二人でWILD EDGE New Zealandをたちあげ、本拠地であるニュージーランド・オークランドでトライアスロン関係の各種ツアー企画、日本から来る選手達の指導にもあたる。日本への一時帰国の際には講演会やセミナーを開催する等、トライアスロンの積極的な普及活動を展開。
お二人のブログトライアスリートNao&YokoのNZライフ~ニュージーランドのオークランドに住むアイアンマン夫婦の日常~もお見逃しなく!!
ワイルド・エッジ(WILD EDGE New Zealand)
http://www.wildedgenz.com/
(※リニューアル版ホームページがオープンしました!!)
TEL: +64-9-585-1111
E-Mail: nyhori@attglobal.net
ADDRESS: 8 Rarangi Road Auckland New Zealand
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第2回 アーティスト集団「アトリエ21」 上田耕造さん、岡田高弘さん、広田稔さん
生まれた年も同じ。1年浪人して入った大学も同じ。プロの画家・芸術家として同じ道を歩む3人は、熱い青春時代を共に過ごした仲間。
現在は、3人共同のアトリエ「アトリエ21」を運営されている皆さんにいろんなお話をうかがっていきたいと思います。

『俺たちの旅』

<プロフィール>
☆ 上田耕造さん
1959年 福岡県生まれ
※大学在学中から数々の賞を受賞
1983年 東京藝術大学美術学部卒業
1984年 東京藝術大学大学院修士課程(羽生出教室)修了後、初めての個展開催を皮切りに現在まで定期的に個展を開き続ける
1988年 東京藝術大学大学院後期博士課程(田口安男教室)修了
※個展開催以外にも、壁画制作(葛飾シンフォニーヒルズ別館)や、天井画制作(蓮華寺本堂・東京都中野区江古田)、様々なイベントに参加するなど活動範囲を広げ続けている。
※2009年に「水彩画の教科書」(新星出版社)刊行
☆ 岡田高弘さん
1959年 東京都生まれ
1983年 東京芸術大学美術学部卒業
※この後、数々の賞を受賞
1984年 東京芸術大学大学院修士課程(大沼映夫教室)修了
※現在まで定期的に数々の個展やグループ展を開催
☆広田稔さん
1959年 広島県生まれ
1983年 東京芸術大学美術学部卒業
※この後、数々の賞を受賞
1984年 東京芸術大学大学院修士課程(彼末宏教室)修了
※現在まで定期的に数々の個展を開催
※2009年に「広田稔画集-彼は海まで線をひく-」(求龍堂)刊行
1999年より横浜・関内にて「アトリエ21」を3人で共同運営
「アトリエ21」
横浜市中区不老町1-4-11
TEL&FAX : 045-651-7821
ホームページ: http://www.atelier21.in/
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第1回 自然・動物写真家 浅尾省五さん
海外でエネルギッシュに活躍していらっしゃるプロフェッショナルな方々にお会いして、お仕事への情熱、苦労話、そして、訪問先での嬉しい、楽しい、いろんな出来事をお話していただくインタビュー形式の読み物です。
そのすばらしい世界を語っていただくことによって、読者の皆様に、「私もそこに行ってみたい!」 「私にもできるかもしれない!!」と旅への夢やイメージを膨らませていただくきっかけとなればと思います。

~51%の可能性には『GO!』、75%の結果には『よし!』とする~
プロフィール
- 23才(1971年)の時、コンピューターの勉強のためにアメリカへ行ったのが最初の海外。
- 野生動物の撮影を始めたきっかけは、20才の頃に動物写真家の田中光常氏に出会ったこと。本格的に動物の写真を撮り始めたのは、仕事の関係でアフリカに2年間長期赴任(1975年)した頃。
- 現在も、1年のおよそ半分を海外での撮影活動にあてる。
- 未知のところに行ってみたい!
- 未知のことをしてみたい!
- 地図を見るのが好き!
- 白地図に行ったところをマーク。夢は白地図をすべて塗りつぶすこと!
今年(2009年)61才を迎え、ますます海外での撮影活動に情熱を燃やす浅尾さん。 本日は、東京・一番町にある浅尾さんの自宅兼仕事場で、いろんなお話を伺いました。 インタビュー中のお話に出てくる動物たちの写真は、浅尾さんの 「動物楽園紀行」でゆっくりご覧ください。
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